イマジナリーフレンドとかHSPの判断って結局自分? だよね?
私の場合、病名であるはずの『うつ病(適応障害より)』ですら納得いかない人だからな〜
だからなんか、HSPが知れ渡り始めたというかなんかそういう時期から今も思うこととしては、「自分はこれだ」「自分はそうだ」って言える人ってすごいな。 なんて考えたりして。
自分でそういう自分の特性を理解して納得して、持って(抱えて)、それで、だからこういうことが苦手で、それゆえ「ああしよう」「こうしよう」ってなるのはすごいと思う。
最近ね〜
イマジナリーフレンドとの会話を、音声(動画)投稿してる人を見かけてね〜
「こういうことをしてくれる人もいるんだ!!!」って感動した。
その人はまあ、現実の体を介して自分の声も友達の声も表に出せる人だからそういうことをやれたわけだけれど…… それをできる人が、それをしてくれることで救われる人もいるだろうなあ。というのはいろんな場面で思う。
同時に、気にするのは、「これがイマジナリーフレンド…… じゃあ自分のは違うかな……」とか。
インターネットで繰り広げられる情報に踊らされて、「めっちゃ当てはまる!自分はこれだ!じゃあ生きづらいのしかたないか」とかさ。「こんな状態にまでなってない…… じゃあ自分って甘えてるだけ……?」とかさ。
なんかそういうこと。
あり得るかも?な話をなんとなーく気にして引っかかって、まあでも「その人はその人の人生を生きてくんだろーし、ボクと関わらないならまあどうでもいいか」くらいのことを脳内で展開したりして。
……結局これって何の話したかったんだっけ?
とりあえず今日はこんな感じでいいか。
さよなら
ありがとうございました
ななしさん
つきまちうさぎ🌕️🐇
『判断するのは自分』的な 考えに、賛同🐾
まあ、きちんと診断された方が 人間 安心するし、それに合わせた 治療が うまくいったりするのは、たしかに そうかもだけど……
『心の中の問題』ってのはなぁ…💓
一番 よく知ってるのは 自分のみ って部分、たしかに あるかもなって、思ったの。
有が『うつ』に納得してないように、
ウサギも 自分のお友達を、勝手に
『イマジナリーなんちゃら』とか
『なんとかプレー』とやらに 当てはめられたくないんだよなぁ……
🐰💦
て、思うこと あるもの。
可能性は あるかもけどー
私が大事にしたいのは、『自分の世界』。
ただ、それだけだもの。
🌎️ 🐇