お母さんが事故死した2022年10月16日
もうすぐ2年です。
この挫折感と絶望感と喪失感と希死念慮
全く変わりません。
母親は、あれだけ病院通って
僕はできうる事はやってきたつもりです。
てっきり病で亡くなると思ってたのに
まさか、長年の担当医の無理な退院させた事で、家に帰ってきて水が詰まってしまってもせん妄で意識がなかったから
自分から苦しいとか言えない状態で
亡くなってしまった。
どんなに無念だったかと想う。
こんな状態でろくに説明もなく
退院させた先生が憎い。
お母さんも先生を頼って行ったのに
意識もない状態で退院とか
きっと怒ってると思う。
お母さん
お母さんと見に行った
土手の白色の彼岸花咲いてたよ!
今度の土曜日お墓に花持っていくからね。
いつでも呼んでください。
もう準備はできてます。
214135通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
一樹
(小瓶主)
お返事ありがとうございます。
まだ2年。これから先
あと何年もあると思うと毎日毎日辛い現実で
途方に暮れます。
先週、会社の会長が亡くなりました。
私も25年ほど勤めていますので
元気だったころの会長の事もよく知っていますが最後のお姿を拝ませていただきました。
どういう理由があれ
人は必ず亡くなるんだと再確認して
少しだけ
気持ちが軽くなりました。
お母さんは
本当に可哀想でした。
今でもお母さんが目の前で
亡くなった顔が脳裏にハッキリと見えます。
何もできなくても
いつも自分の味方でいてくれました。
笑ってくれました。。
もう、自分からは
笑いが消えました。
日々を送るだけです。
それしかないんです。
竹内まりあさんの
いのちの歌を知りました。
とても共感して自分の葬儀ではこの曲を
流してもらうことにしました。
ななしさん
2年はまだ辛いですよね。
私は大切な人を事故で亡くしました。
自分の余裕のなさから、何度もの電話に出られず、連絡しようと思った矢先の訃報の連絡でした。
私があの時、電話に出て話を聞いていればよかったのにと言われたり、そのことによってもさらに追い詰めらました。
それからずっと辛かった。朝目が覚めることに絶望し、起きてる時間がずっと死んだような時間でした。仕事もボロボロ、終業後はその事故現場をさまよい、幽霊でいいから会いたいと思って歩いていました。誰にも伝えたことのない話ですが。あれからすでに20年経ち、今は自分が親となり、自分が子を置いて逝くことがとても怖いです。でも親が先に行かせてもらいます。子には親が亡き後、せめて幸せだと思える時間が長く続いて欲しいと願います。
今はまだお辛いでしょう。当時の私も今思い出しても涙が出てしまう記憶です。でももう少し生きて欲しいのです。
きっと新しい出会いが、少しずつあなたを癒してくれるから。お母様への元へ行かれるのはまだまだゆっくりでいいのですよ。
あなたに癒しと、安らぎの時間が訪れますように。
ななしさん
つきまちうさぎ🌕️🐇
一樹さん、お久しぶりです。
…近頃は、あまりの 一樹さんの 落ち込みぶりに、私などが どう声をかけていいものか 分からず、お手紙を書く手紙が 少し 止まっていてしまいました
…けれども、やはり 何かしら お声かけしたいと、今回 お邪魔いたしました。
病院 というものも、時には 確実ではありませんし、患者や その家族の 信用にたるか、分からない部分も、確かに あります……
…お母様のこと、さぞ ご無念だったことでありましょうね。
大切な ご家族を亡くされた 一樹さんの 怒り、悲しみを思えば、……本当に 胸が詰まるような 心持ちになります。
けれども、きっと お母様は 今頃、すべての苦しみから解放された 世界におり、そして
一樹さんのことを、青空の向こうから 見守ってらっしゃることと思われます。
…お墓参り、よきことですね
お母様のために花を持ってゆく、一樹さんの愛と優しさに、きっと 喜ばれることでしょう。
その日まで、どうか お大事に、一樹さん。
☀️ 🌷🐇
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。