私が15歳の12月、お父さんは亡くなったね。
学校から帰ったらもうお父さんは家に帰って来てて、ふつうに寝てるみたいだったよ。
唐突だったから最後の会話なんてできなかったね。私が最後に聞いた言葉は「大丈夫」だったから、この言葉を遺言だと思ってるよ。
兄弟みんなでお見舞いに行った帰り際、みんなが出ていった病室で独り言のように呟いてたよね。私が1番最後に病室出たから、実は聞こえてたんだ。
思わず振り返ったら、扉に背を向けて背中を丸めてたお父さんの姿も覚えてる。
でもなんの言葉も返せなかった。ごめん。
でもね、この「大丈夫」は辛いときや踏ん張りどころってときに思い出して勇気をもらってる。ありがとう。
私は泣き虫なのに、葬式では泣いてなかったからお父さんにひどい子だと思われたかなってずっと気になってた。
弁解させてもらえるなら、泣いたら寂しさが消えてしまう気がして泣かなかった。悲しくなかったわけじゃない。
葬式のとき、これからは「父がいない時間」が増えていくんだなて思ってた。
今私は30歳になったよ。「父と過ごした時間」より「父がいない時間」が長くなっちゃった。
私がどんな高校時代を過ごして、大学生になって、仕事は何をしているのか、どんな人生だったかはいつか会えたら話すよ。楽しみにしていて。
その時はできるなら塩おにぎりを作ってほしいな。楽しみにしてる。