特に悲しいこともない
嫌なことされても中学の時と比べて、特に何も感じなくなった
ただ夜になると、世界にひとりぼっちで、月だけが味方だと言っていたあの頃を思い出す
私はひとりじゃない、きっと誰かは私のことを見てくれている、私を助けてくれる、そうやって自分に言い聞かせていたあの頃を
歌詞のない曲を聴きながら空を見上げても、夜中の4時では月も誰も眠ってしまっている
私ってなんだろう、誰が私の味方でいてくれるんだろうと、寂しさに包まれてかじかむ指で綴るこの文になんの意味があるのかわからないでいる
三本目の煙草を吸い終わってもなお懲りずに四本目に手をかけようとしている私は愚かで、あの頃1番なりたくなかった私自身だ。
あの時、あのまま死んでしまえばよかったのに
最近はそのことばかり考えてしまう
いや、あの時もっと上手い生き方を見つけていればよかったのだろうか?後悔なのか
カウンセラーの先生が中三の私に尋ねた言葉が、こういう夜に限ってフラッシュバックする。
「幼いあなたがこの椅子に座っていたとして、生きるとはどういうことか説明できる?」
生きるとは死なないでこの世に留まっているということだよ、いつかみんな死んで何もかもなくなってしまうんだよ
そう言うと先生は話すのをやめて、クラスのことや家でのことを聞いてきた記憶がある
高校に入って楽しいことばかりではなかった、つらいこと、投げ出したいことたくさんあった。乗り越えられなくて逃げ出した日もあった。
だから考えが変わったんだ
吸殻を見つめながら、私は強く思う
生きるとは、自分のことを好きになれる瞬間をいかに多く見つけるかだと
高三の私にはまだ上手く言葉にできないけど、この三年間で人の生を見て感じて学んできた
スカートが短いって追いかけ回されて、早く課題出せって叱られて、仲良かった子みんなに裏切られて、へらへらしてるそんな自分も必死に生きていて、生を感じて好きだった
そう思わせてくれるところに身を置けたことを感謝している
風が肌寒い、そろそろ寝なきゃと思い灰皿に擦り付けるがなかなか消えない
それも生なのかもしれないなと、ぼーとした頭でただ見つめる
「死ぬということはただ隣の部屋に移動するだけだ」
とある司祭が言った言葉をなぜ今思い出したのだろう
生と死は隣り合わせだと、昨日読んだ川端康成の眠れる美女でそう思ったからなんとなく重ねたのだろうか
この心の霧が晴れる最もらしい答えがはやく見つかればいいのだけれど
私自身を心から愛せる時が来るまでは死んじゃいけないと思うから、自分が素敵だと思う選択をして生きていくね