ある珍しい画材を、アメリカの友人に紹介した。
自社文房具のデザインに使った画材で、友人は、画像で見て興味をもったらしい。
わざわざ画像をダウンロードして、どんな風に描いているのか拡大して研究しているという。
それなら原画を見た方が勉強になるだろうと、作品原画を友人のところに送付した。
友人は、早速同じ画材を購入して、飼い猫の絵を描いた。
これがとんでもない出来の良さ。
アクリル、パステル、木炭、水彩、なんでも使いこなす器用な友人。
だが、僕の紹介で使い始めたこの画材は、他のどんな画材とも違う表現が可能だと喜んでいた。
制作した作品は、彼女の膨大な数に上る作品の中で、トップ10に入るお気に入りだという。
画材を紹介したこと、原画を譲ったことについて、大いに感謝された。
こちらからは、大いにおめでとうと返したい。
「誰か」ではなく「何か」と手を携えて生きることを学び、正解がない世界で自分の選択をコツコツと正解にしてきた彼女に。
彼女は、所謂「きょうだい児」だ。
ご両親が存命だった間は、彼らと施設がきょうだいのお世話の主たる担当者だった。
ご両親亡きあと、彼女は自らきょうだいの公的後見人になり、きょうだいのサポートチームのキーパーソンを務めている。
制度上、後見人は家族でなくとも構わない。
が、ここ数年、後見人だった人物が今一つ信頼できないということで、自ら後見人を務める選択をしたという。
きょうだいとは、子どもの時からまともに会話が出来たことがない。
最近は、彼女が自分の姉であることも認識できないそうだ。
そして、長年苦楽を共にした理解のあるご主人にも、認知症の兆候が見られるという。
彼女が「誰か」がいることを前提に生きることしか知らなかったら。
今の状況であれほどしっかり自分を保ってはいられなかっただろう。
「誰か」は、必ずいなくなる。
親だろうが、配偶者だろうが、子どもだろうが、友人だろうが。
遅いか早いかの違いがあるだけで、
「そして誰もいなくなった」
は、誰もがいずれ経験する事態だ。
いなくなることが決まっているものを、自分の松葉づえにしてどうする。
一方、「何か」はいなくならない。
自分がそれを放棄しない限り。
彼女には、バディとして常にそばにいてくれる「何か」があるから、「誰か」がどうなろうと、やっていける。
「趣味の部屋で、顔を上げればいつでも視界に入る場所にこの絵を飾っているの。
見るたびに、『一体自分は、どうやってこんな素晴らしい作品を描くことが出来たのだろう』と思うわ。
あの画材を紹介してくれて、本当にありがとう」
そうメールで伝えてくれた。
自分が作ったもので自分が励まされる。
それが、「誰か」ではなく「何か」を相棒として生きることの強み。
そして、大抵の場合、「何か」とともに生きることで、「誰か」は後からついてくる。
それでも、「誰か」に「何か」のポジションを譲ってはならない。
「何か」を始めるのに早すぎるということはないが、遅すぎることもない。
思い立ったときに始めればいい。
実際、彼女が絵を描きはじめたのも、インテリアデザイナーの仕事をリタイアした後だ。
今では、地元のアートフェアの常連、毎年各賞総なめの大御所になっている。
次に渡米したときには、是非彼女のもとを訪ねて、あの作品を見せてもらうことにしよう。