07180020。何分、寒々しい生活を送っているものですから、すぐ人のこと好きになってしまいますねぇ。
久しぶりに同期とお酒飲んで、誰かが酔っぱらった時に「白蛇好きだー!」なんて抱き着かれると、キュンと来るんです。
とはいえ、元々、情の薄い人間ですし、エゴイストなのを自覚しているので、相手の気持ちがどうであれ、友達のままが気楽なのよねぇ、と思っています。それは嘘で、他人に深く構える余裕が無いのです。
代わりに、どこまでも優しくしてあげられたら、なんて舐めたことも考えています。
大学時代は退廃的というか、インモラルな生活をしていた時期があったこともあり、人の気持ちは長続きしないのよ、と思うところもあります。
↓良くない感じ、バッドトリップ気味になり、あまりにも眠れないので、恥ずかしいポエムチックなこと書きます。
私は当時、経営系学部の2回生になったばかりで、見込みがあると言われる学生でした。就活はもう少し先のことでしたが、研究室のコネクションで、多少は名のある会社に内々定が決まっているような状態でした。人手不足、売り手市場という言葉が色々のところで喧伝されていたというのが、実情だと思います。溺れる者は藁をも掴む。
その頃の私は、自分の中の弱さから目を背けて、前に進むことばかりを考えていました。
守りに入らない人間は、攻めていられる内は強いので、人前で話すこと、例えばプレゼンテーションなどが得意でした。
そうはいえども、新規事業企画案などを人様に向かって話している時の自分は嫌いでした。それは、話の上手さで相手を説得することが出来てしまうという側面も確かにあったからです。
革新的な発想や高い志が無くても、実績を作る為には、回数をこなして行かなければなりません。学内外を問わず、産学共同の流れの中で、私は悩める企業から物見遊山でやって来る企業を問わず、嘘をつき続けていました。
勿論、半端なものを提出していた訳ではありませんし、真剣な相手に真っ赤な嘘は通用しません。嘘というのは、その程度は時と場合で変わるとしても、兎角、真実の中に混ぜるから効果的なのです。
例えば、大してデータに差の無い、同じような内容の事業企画をプレゼンしている時は、話術が物を言う。所詮は実務経験の無い学生の考えることですから、もはやそこが全てです。
心なんて無い、虚ろな自分を偽ることは、それ自体は簡単なことでした。私は元来、人の顔色だけを気にして生きて来た人間でした。
それまで、薄暗い道を歩いて来て、ようやく日の当たる場所に出られるかもしれない、そんなことを考えていたのかもしれません。
しかし、外に見せている自分と自分だけしか知らない心の内は、折り合いを付けられないほどに離れて行きます。
段々と、人前で話すことが苦痛になって来る。壇上に立つ前には、水筒の中に入れてある酒を一口飲んでから、話し終えたあとは、何度もトイレで顔を洗いました。くもりガラスから差し込んでくる、清潔な青白い光が照らすその顔を、どうして自分の顔と思えないのです。
そこまで神経が尖るようになる頃には、自分の歩いている道が、暗い袋小路に向かっているような気がしていました。
それでも、止まることは出来ません。せっかく手にした機会ですから、どんな手を使っても取りこぼしたくない。目的など無くても、負けるよりも勝ちたかったのです。一体何と戦っているのか分からないにもかかわらず。
飲酒に喫煙、時には本来の用途以外で薬を飲みました。それでも、打ち明けられない自分を誰かに受け入れて欲しい、その気持ちが日増しに膨らんで行きます。
三回生の春頃からは、視界の端で黒い棒人間のようなモノが愉快そうに踊っている姿が見えるようになりました。
早急に何かをしなければいけない。そうして、私は友人でもなく指導教員でも家族でもなく、マッチングアプリで出会った年上らしい女性に感情のはけ口を求めました。
実を言うと、その人のことは目に見えるもの以上のことを知りません。きっと本当の名前も知らないと思います。私は、その人が既婚者なのではないかと思っていました。細いその指に、跡がかすかに残っているように見える。待ち合わせは決まって昼から夕方までの人混み、言葉や仕草、時折電話をするのに、私から離れてにこやかに話をする姿が、私とその人との間に、超えることの無い線が引かれているのを突き付けるような気がしました。正気とは言えない状態でしたので、本当のところは分かりません。
それでも、私はその人のことが好きでした。それを依存と言えば、それまでのことですが、己の弱さを直接、言葉で吐き出すことはしないにせよ、兎角、自分を受け入れてくれる人は、当時の私にとって唯一無二の存在に違いなかったからです。
それ故に、自分の記号的な素性以外を話すことはなく、相手のことを聞くこともしませんでした。端から、そう遠くない内に終わる関係だと思っていたからです。別に、それはそれで良かったのです。あくまでも、歩道上の関係が気楽でした。必要なのは言葉ではなくて、どんな形であれ、存在としての自分が他人に受け入れられているという事実でした。
それを最も強く印象付けたのは、同じ年の寒い冬の日のことでした。初めて会った時のことなんて、何となくしか覚えていないのに、その日のことは鮮明に覚えています。
いつも通りの時間に待ち合わせ、人混みの中を歩きました。雪のまばらに降る、クリスマス前の街並みは、いつもより華やかに見える。その日も適当な店でお酒を飲んで、そこからホテルに行きました。いつもと違ったのは、その日は泊まりになったことです。
ベッドに横たわり、その人の温もりを感じながら、この人も1週間後には誰かと正しい時間を過ごすんだろうか、そんなことを初めて考えました。そして、それは何より私にとって都合のよいことでした。
その温もりを手放して、窓辺で煙草に火をつけながら、その人の寝顔を眺めている間も、黒い棒人間は視界の端で踊っていました。
窓の外では、降り続いていた雪が、いつの間にか雨になっていました。柔らかく積もった雪は、とても静かに、けれどもゆっくりと溶けて行き、夜のうちには消えてしまう気がしました。
彼女の寝姿を見るのは、この日が最初で最後になりました。
それからもその人とは何度か会いましたが、四回生の春が終わる頃には、お互いに連絡を取ることは無くなっていました。それは、脈絡もきっかけも無く、もうお互いを必要としなくなっただけのことだと思います。
私は私で、全てに嫌気が差し、殆ど確実になりかけていたコネ内定の話を断り、これまでの活動の成果を卒論としてまとめ終えた後、地方のとあるリゾート地に足を運びました。友人達は皆心配してくれましたが、別に、死んでしまおうと思ったわけではありません。
単に一人になりたかっただけのことです。宿泊の最終日を過ぎても、私は住み込みのバイトを見つけて二ヶ月ほど滞在を続けました。いつの間にか棒人間も見えなくなりました。職場の人達はずいぶんと私に良くしてくれましたが、ここに留まることは無いと思っていました。
心から誰とも繋がることの出来ない自分に、虚しさばかりが募ったからです。その点で言えば、それは今も大して変わりが無いのだと思います。
家に戻って、それからも何事も無かったかのように、今日まで平気な顔をして、善人の皮を被って生きています。最後にはブッ壊れてしまいましたが、勿論、良いこともありました。ボロボロになりながら学んだことが、私を今日も生かしているのは間違いありません。死ぬ為に生きている。
あの夏、バイトの休みの日には、決まって早朝に散歩へ出かけました。職場の寮の近くには滝があり、その側から登山道に入って行くと、少し開けた場所に出ます。そこに植わっていた古木を眺めていた時間を、今でもたまに夢に見ます。
朝靄の中に木は佇んで、その姿はまるで何かを待っているかのようです。それが何かは分かりませんが、待っているのは私も同じでした。どれだけの言葉を尽くしても、本当のところでは、私は自分の時間が終わるのを待ち続けているのだと思います。
ただし、どうせ終わるのなら、また、それがいつになるか分からないのなら、それまでは踊るように軽やかに生きる方が良いんじゃないかと思っているだけです。
どれだけ愚かで醜くかろうが。
↑というお話を、眠れない夜に考えたんじゃよ。なはは