母が喜ぶと私も嬉しい。母が悲しむと私も悲しい。母が肯定するなら私も肯定する。母が否定すれば私も否定する。
母の価値観が私の価値観だった。それでいいとさえ思っていた。親が言ってることだからそりゃあ合ってるに決まってるから。母の考えとは違うことを言うと私が否定されて、私が間違ってるみたいだったから。
高校生の頃、私は一人暮らしに憧れがあって、とにかくご飯も掃除も洗濯も全部1人でやってみたかった。家事が大変なんだろうなっていうのは私の想像でしかなくて、実際にやってみないとその大変さは分からないだろうなって思った。正直、母から離れてみたい欲もあったと思う。母と距離を取ったら自分はどうなるのか試してみたかった。
一人暮らししてみたいなあって母に言うと、「やれるもんならやってみろ〜」っておどけた口調で何回も言われる。応援してくれたことはない。どうしてなの。私を心配して幸せを望んでるって口では言うのに、なんで私のやりたいことを「できないでしょ」って潰そうとするの。
たぶん別に傷つけるつもりはないんだろうな。戯れてるつもりなのかも。もしくはその大変さを分かってもらいたくて、感謝してもらいたいだけなのかな。あんたが思ってるほど簡単じゃないよって。私が過度にその言葉を気にしすぎてるのもある。でも、それでもやっぱりひどいよ。応援してほしいって思ってしまうよ。
これ以外にも、私がこれやりたいって言ったときに「○○にはできないでしょ」って母に言われたこと、何度もある。言外に含まれてることも多い。その度に少し心が傷んで、でも納得してきた。私も母が言うならできないなって思ったから。そっか、無理だよな、って。何回も何回もその母の言葉で自分を諦めてきて、もう自分に期待したくなくなった。できないでしょって言われるのが嫌だった。
そのくせ、結婚とか出産とかについては根拠もなくできるよ!って言う。自分に都合がいいことだけ励ますんだ。意味わかんねぇよ。できるわけないし、そもそもそこに私の意思は聞いてくれないの?私の幸せを願うなら、できるできないじゃなくて、したいかしたくないか、じゃないの?
もうずっと幼少期から母の言葉を気にしすぎてる自分がいる。「良かったね」って言われるとすごく安心するし、「やらなくていいよ」って言われるとその気もなくなる。いい意味で素直ないい子、悪くいうと言いなりだった。今もそう。
事実として、私はまだ実家暮らしだ。一人暮らしできる年齢なのに。そのことさえも、やっぱり母の言うことが正しいんだ、っていう証明に思えてしまってしにたくなる。自分のしたいことが分からない。自分の意思が信じられない。私の意思や考えが正しいかどうか、母の言葉を基準にしてしまう。周りはみんな自分で選択して前を向いて歩いているのに。私は、自分が母の言う通り「できない」んだって失望して立ち止まってる。
どうすればいいんだろうね。でもなんとなく、母からは離れた方がいい気がしてる。母を嫌いにならないためにも。だからとりあえず、離れるために、離れても大丈夫なように、生きてみようとは思う。とりあえず。後悔するならやってみてから、でいいよね。