昨日は、YouTubeで『マーシャとくま』という娘のお気に入りの動画を一緒に見ていた。
たまたま流れていたエピソードが、『ひょんなことがきっかけで登場人物の熊がゲーム依存になる』という内容のものだった。
何年も家にこもり、周囲の制止も振り払って、貯金も使い潰してゲームに没頭し、気が付いたら周りの様子はすっかり変わっていた。
畑にニンジンを奪いにきていたウサギは家庭を持っており、好きだった女の子の熊は他のオス熊と結ばれていて、それを見て叫んだところで実は全部夢だったというオチの話だった。
これだけならよくある笑い話なのだろう。現実に向き合ってきちんと生きましょう。現実逃避は良くないですよ。そういう教育的なお話だと説明することも出来ると思う。
ただ、自分が気にかかったのは、先述の熊は普段は畑を耕したり、家もきちんと手入れしたり、女の子の熊に対しても(ややズレている所はあるものの)紳士的に応対しているように見えた所だ。別に普段の生活が見るに堪えないようなものだから、ゲームの世界に逃げ込んだという訳でもない。
そもそも、幸せの感じ方なんて人それぞれだという意見もある。
ゲームに没頭する時間がかけがえのない幸せだと言って悪いという訳じゃ無いし、『社会人としての責務を全うして、健やかな家庭を持つこと』以外の幸せは無いなんて理屈は暴論でしか無いだろう。
むしろ、そうした『現実を生きるという幸せ』を得た人(あるいは得たと思い込んでる人)こそが、負け犬とされる人達と自分を比較することでしか幸せを感じられない哀れな人なのではないかと思えてしまう。
これから先は、幸せは人それぞれだという考えがより一層強くなるだろう。
家庭を持つことが幸せだと思えない人(私のような)も出てくるだろうし、ゲームや娯楽でも幸せを得られない人もきっと出てくる。
そうなると、肉体を持っている以上反応せざるを得ない化学物質、例えば覚せい剤や濫用成分の含まれる市販薬で手っ取り早く幸福を得てしまおうと考える人がいるのもおかしな話では無いのかもしれない。
実際に自分がやるかどうかは別として。