ボクが今まで生きてきて
間違いないと思ったことは
「冷静に厳しい方向に歩く」ということ。
生きるためにはがんばらなきゃ
誰かにやってもらえるほど
「この世界」は
「そこ」までには来ていない。
かといってムチャをしちゃ
倒れて歩けなくなっちゃう。
休むべきときには回復させるために
休むことをがんばる。
またがんばるために。
誰かに役割を求められたら
それはおそらくキミにできること。
キミ自身ができないと思っても
それは自己防衛が働いているから
実際、やってみるとできちゃったりする。
もちろんムチャな要望には
きぜんと拒むべきだけどね。
そうやって
誰かのために役に立つ人生は
捨てたもんじゃないよ。
死ぬときに一番後悔をするとしたら
ボクは守りに入って
何もしなかった場合だと思うんだ。
ず~っと引きこもって
自分の好きなことだけやって死を迎える。
確かに好きなことをやってる最中は
楽しいかもしれない。
ただ、死を迎えたとき……
「何のために生きてたんだろう?」って
なるはず。
その楽しい思いは
死んだら消えてしまうから。
だったら、命を削ってでも
「この世界」にほんの少しでもいいから
変化なり笑顔なり作ったほうが
いいと思うんだ。
それは死んでも残るから。
ボクは中身のない長い人生はいらない。
それなら、中身のある短い人生を選ぶ。
もうボクは、いつ死んだって後悔はしない。
それは
その日その日を精いっぱい生きているから。
死ぬことすら怖くなくなってきた。
だからといって
自殺なんてムダなことはしないけどね。