私がずっと普通から外れてると思っていた考え方が、ここでは当たり前に流されているから、私が何を流しても埋もれてくれる。そんな小瓶が好きです。
少しここを離れていたけど、また少し戻ってきました。
今朝のことです。
つつがなく「普通」に生きているつもりだったけど、朝ごはん食べてて虫歯か?って思った時、まあいいやって当面使えたらそれでいいわって思っている自分を見つけました。
健康に長生きしようという考えから離れている。
普通なら健診や治療に行って、少しでも歯の健康寿命を延ばすはずだ。
歯の健康が問題になるほど長く生きたくないんだな。
そんな考えが過ぎりました。
長く生きることを投げ出している投げやり思考を見つけて、やっぱり表面上取り繕っているのは擬態にすぎないのだなと思いました。
本質は、いざとなったら終わらせたらいいという、どこか刹那的な物なのでしょう。
そのくせ未来に囚われて恐怖しているのですから始末に負えません。
就職後に一度、同級生に「〜歳で人生終わってほしい」と言った時に、「そんなもったいない!俺は人生でやりたいこと死ぬほどあるのに!」と返されたことがありました。私の発言に心底驚いたというような彼の声音が忘れられません。羨ましいと同時に、そこまで人生に懸ける熱意が理解できませんでした。
人生は暇つぶしと言いますが、今の仕事が今までで一番楽しく、今の生活が最も生きていることを実感できている、そう内省する中でこんな考えが湧くということは、暇つぶしは暇つぶしに過ぎないということでしょうか?
そうなると、未来に囚われて、追い立てられるように現在に予定を詰め込み、虚しさを紛らわそうとしているのはなんとも滑稽ですね。
ここに来なかった間に新しいことを初めてから、少し遠ざかっていた思考が、今朝戻ってきました。
私自身何を書いているのか分からなくなってきました。もし読んでくださった方がいらっしゃったら、お目汚しをいたしました。
読んでくださりありがとうございました。