15100561。今に始まったことではありませんけれど、偶に自分の頭のネジが飛んでいるような心持ちになることがあると言いますか、奇妙な世界に入り込んでいるんじゃないか、と自分を疑うようなことがあります。
例えば、今の家に越して来てから買い出しに行くスーパーも変わったのですが、そのお店ではよく出汁コーナー?の鰹節が一袋だけ、床に落ちているのを目にします。何故なのでしょうか、あるいは売り場のデザインに問題があるのか、あるいは品出しの方に特定の癖でもあるのか。まぐれにしても随分とこの光景を見かけるなぁと思いながら、いつしかそのお店に行く時には、いつもそのコーナーを通るようになりました。
今日は落ちていない……あ、今日は落ちてる。
その鰹節の袋を棚に戻して、マスクの下でにやにやします。奇妙な楽しみですね。
私の住んでいる場所は、いわば寂れて行くかつてのベッドタウンといったところでして、新しいモノは出来ず、昔懐かしいモノはいつの間にか消えている、そんな場所です。この頃はあまり立ち寄っていなかったのですが、子供の頃に住んでいた場所の近くにある自然公園? その中の公共施設の一角にあった入浴施設が閉館しておりました。
近頃は随分と寒くなって来ましたし、ちょっと職場が繁忙期になり、残業する日が増えて来ていることもあり、自転車よりも車で通勤する日が増えて来ていました。その日も、うんざりするような残業を終えて、このまま家に帰って泥のように眠るのも嫌だなぁと思った私は、車を走らせてその入浴施設へ直行しました。
市街地から少し離れ、夜の田園地域の暗闇の中を抜け、やがて小高い山がちな土地に着きます。この時期は静かな桜並木の道を歩いて、うらぶれた建屋の玄関を通り、受付の馴染みのお爺さんに、
ご無沙汰してますー、入浴したいんですけどー、と言うと、
あちらは(ノ∀`)アチャーといった感じです。聞けば、少し前にボイラーの故障で閉鎖していたとのこと。修繕費用がかさむ為、浴場は閉鎖してしまったというのです。
かなりショックを受け、中庭の喫煙所へよろよろ歩いて行き、煙草に火をつけました。ベンチに腰を下ろして、ひょろひょろ伸びた木々を眺めながら、子供の頃からこの中庭だけはあんまり変わらないぁ、祖父と良く散歩に来ていたなぁ、途中で見かけた遊具はだいぶ色褪せたなぁ、とかあれこれ思い出して、ちょっとしんみりしました。
大げさな言い方かもしれませんけれど、私の人としての良い部分というのは、あの頃に周囲の人や自然から貰ったものが大半なのではないかと思っています。
冷たい空気が頬に沁みます。枝枝を風が揺らして、ひらひらと幾枚かの枯葉が肩に降って来ます。瞼を閉じると、そんな森の音が耳の近くに感じられます。私の心の森、少しずつ変わって行く。煙を肺から吐き出し切っても、その色はわずかに白んだまま。
煙草が燃え尽きたので、お爺さんに挨拶をして、車を走らせました。――別に、ぼんやりとした気持ちでいたわけではないのです。寧ろ、ハンドルを握っている時ははっきりとした意識でいます。併しながら、闇の中から不意に現れた白い何かに、うわ!猫だ!と思ってブレーキペダルを踏もうとする最中――あ、ビニール袋か……。
何なのでしょうか、私、かなりの確率でこの見間違いをしてしまうのです。そうして毎回、笑っています。シュールな感じ、心が軽くなるような気がします。