10010005。子供の時分とは又異なる季節の移り変わりの中で茫々と生きていて、ふとイチョウ並木が綺麗に葉を散らしているのを見て、冬枯れという言葉が思い浮かぶ今日この頃。こんな時期の夕暮れ時は、妙に切ない気持ちになります。
私の職場はちょっと特殊な環境の為、年中、水を撒いている設備があるのですが、その散水栓の側にいつの頃からか植物が根を下ろしているのを見つけました。いつの間にか、風か鳥かに運ばれて来て、たかだか十数センチの配管の上になんか根を下ろしている。本当はさっさと処分してしまわなければいけなかったのですが、日々の仕事の忙しさにかまけて放っておくと、夏の日差しを浴びてぐんぐんと背を伸ばして行き、もうヒト一人の力では引きはがせない程に強く植わってしまった。生き物の力強さに感心するばかりでした。
しかし、少し前にとある工事の関係で一時的に散水栓を閉めることになりました。それから数週間が経ち、久しぶりに様子を見てみると、すっかり枯れてしまっていて、軽く引っ張っただけで根は千切れて配管から剝がれてしまいました。嗚呼、死んでしまったなぁ。
危うい場所に根を下ろした一つの植物が枯死しただけのことなのですが、何か、幽かな霊感に打たれたような心持になります。大げさな言い方だとは思いますけれど、これは人間にも共通することなのではないか、と感ぜられたわけです。
幾ら生きる場所をある程度は選べるといっても、畢竟、人間は仕事であれ何であれ何かに縛られて生きていることがあるはずで、何処でも好きな場所に好きな時、根を下ろせるわけではない。延々と根を張れないまま、力はすっかり衰えてもう時間は戻らずに、誰の心の中にも存在することなく消えて行く――とまあ、そんなことをぼんやりと想って、寒々しい気持ちになるわけです。
そんな時は、決まって昔馴染みに声を掛けて適当な店で一杯やることにしています。楽し気な空気の中にいれば、多少はこちらの気持ちもそれに染まるからです。