もう終わりにしようか。
人生が楽しくて。あしたが来るのが楽しみで。
そんなこと、一回もねえわ。人生の折り返しはすぎた。のこり1/3くらいか?まだそんなにあるのかと思ったら、ため息しか出ねえ。目眩しか起きねえ。
欲しいものもやりたいことも何もない。
ほしいものを我慢しすぎてもはやほしいものがわからない。叩かれすぎて自己主張できない。なんでも自己責任で片付けられてきた。社会に恩返ししたいとかいうフレーズが意味わからなすぎてポカーンとする。
氷河期世代だからかねえ。恩なんか微塵も感じてねえんだわ。ほしいものもやりたいことも我慢我慢我慢。散々犠牲を強いられて、やってます感を出したいだけのしょうもない支援策でお茶濁されて。それで救えるならやってみ?よくわからない内に予算が消えてるだけだと思うけど。
使い捨て、マウント要員、みんなのゴミ箱。
週末に酒飲んで寝てるだけのスッカスカの人生です。子供いなくてよかった。面倒見切れないし。自分史上最高の選択だったわ。
あした、地球が爆発しねえかななんて小学生みたいなこと考えてる。
今日はまだ火曜日か。休みまであと3日。
長えな。
早く酒飲んで眠ってしまいたい。永遠に。
ななしさん
私は40代前半、氷河期の一応の終わりとリーマンショックの間に大学を出た世代です。
派遣で食いつなぎなからギリギリ生活してきたのですが、精神的にも肉体的にも病気になって、現在は「家事手伝い」の身です。
私にも子どもはいません。
いたらきっと「親ガチャ外れた」なんて恨まれるでしょうし。
ところで、ちょうど私たちが社会に出る頃ですよね、なにかにつけて「自己責任」が叫ばれるようになったのって。
治安の悪い国に取材に行ったジャーナリストが、テロリストに捕まったのは「自己責任」
不安定な仕事についてしまったのも、働けなくなって貧困に陥るのも「自己責任」
与党の政治家や、時流に乗って成功した実業家なんかが、率先してそう言い放っていたと記憶しています。
そうした考えが急速に社会に浸透して、今や誰もが、社会的に弱い立場にある人たちでさえ、その言葉を他人にも自分にも吐きかけて、際限のない「自助努力」と我慢を強いられるような生き地獄になってしまった。
「自己責任」に疑問を持つヤツは負け犬、怠け者、自己中、社会不適合者…みたいなレッテルを貼られるから当然ですよね。
実際のところ、人件費を削って利益を出したい企業とか、社会保障費を抑えたい政府の都合でしかないんですけどね。
自分が苦しい時に平然と突き放すだけではなく罵声まで浴びせ、支援や救済を「やってる感」だけ一丁前に出す社会(というか政府や産業界)に恩を感じろなんていう方が無理。
地球爆発しねえかなっていう気持ち、よくわかります。
私も生きる希望のようなものは持っていないのですが、ここ2年くらいの、磐石と思われていた体制が綻ぶ予兆には底はかとない爽快感をおぼえますね。
自分(たち)は何に苦しめられてきたのか?
生きづらさや息苦しさを生むものの正体とは?
それを追究することが、一応の生きる張り合いになっています。
この世界がこれからどんな風に変わっていくのか、ちょっと見てみたい気持ちもありますし。
家事もそこそこ楽しいですし。
とりあえず、生きられるだけ生きてみませんか。