小学生の頃、私がクズなせいで親がずっと仲悪くて、でも私は母に嫌われていても母のことが大好きだったから。
母は当時父にも苦しめられていたと私の記憶の中ではそうなんだけど。
ある夜、言うか言わないかずっと悩んでたけど言った方がいいのかもと思って、離婚しないの?って聞いてみた。
できない、あんたらがいるからって答えしか返ってこなくてそれが1番つらかったなという思い出。
私のせいで母が幸せになれないなら私は死んでもいいよと子供ながらに思っていた記憶がある。
言えなかったけど。
ある投稿をみて思い出したよ。
たぶんこの記憶は私が自傷行為を始めたきっかけであって、本当にごくたまに思い出すんだけど。
中学生くらいの時は酷いことをされたなと思っていたけど、私も同じことを母にしていたのだなと今では思う。
私が死ぬと言えば母も死のうとした。
でも母は私にお前がいると家の空気が最悪になるから出てけと言ったし、父はお前のことをバットで殴り殺してやるからなと言った。
今思い出すと馬鹿らしいとも思うんだけど、でもつらくて涙も出てくる。
この記憶と経験とその積み重ねから生まれてきた私は今後もこうやって生きていくんだろうし、少なからずはそれらに影響を受けているし、心の奥底で抜けないものになっているんだと思う。
でもいつか忘れられたらいいなと思う。
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ななしさん
今でも涙が出るほど、辛い経験だったんですね。
離婚しなかったのは、「離婚したら子どもを養うのが大変」という親の打算かもしれないので、あなたのせいではありません。
「私のせい」なんて自分を責める必要は、ぜんぜんないんですよ。
ご両親があなたにしていたことは、精神的な暴力であり、虐待だったんですから。
親が幸せではないとしたら、子どものせいではなく、親自身の責任なんです。
親には親の人生があり、子どもには子どもの人生があります。
あなたは、ご自分の人生を幸せに生きてくださいね。
内容拝見いたしました。
私の話をさせてください。
私の家は小学1年生の頃に両親が離婚し、母親が家を出て行った父子家庭です。
母の口から出て行く旨を伝えられたときのことは未だに忘れられず、はっきりと覚えています。母が泣いていたことも、私や兄のせいで出て行くわけじゃないからねと諭されたことも。その当時、私は
「子どもが大切だって言うなら離婚するなよ」
なんて思っていました。
私もリスカをしています。教師にバレ父に連絡がいき、父は母に連絡したそうです。
父には馬鹿なことしてんじゃねえよと嗤われ、母にも泣きながら責められ。忘れることも出来ないまま、死にたいながらに生きています。
小瓶主さんが家庭の苦しい記憶を忘れられないのであれば、私も一緒に苦しみます。私も忘れたいと望んでいますので、このお返事を書かせていただきました。長々と失礼いたしました。
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