…という子どもの頃の刷り込みは、どうやら一生消えることはないらしい。
その後の様々な…
まあ、敢えて言えば「ポジティブな」経験の中で、よくいう
「上書き」
という現象が起こり、完全に払しょくできるのかと思ったら、違った。
私にとっては、相変わらず、何をするにも、
「自分は世界にとって招かざる客」
これが、頑として動かない所与の条件だ。
招かざる客が、勝手にパーティに顔を出しちゃ、まずいでしょう。
という感覚なので、自分から他人には近づかない。
現実の生活の中で、幾度も「歓迎会」というものを経験した。
だが、一度たりとも、本当に歓迎されていると感じたことはない。
とりあえず、新しい人が来れば、歓迎会をすることになってるんですよね?
という感じ。
まあ、事実として、それに近い歓迎会の方が多いでしょ。
皆忙しいのだから、そういう形式主義、止めればいいのに。
とさえ思う。
いつでも、自分は一人で琥珀色の音がしない瓶の中にいて、そこから世界を眺めている感覚だ。
世界は、瓶の前を素通りしていく。
瓶の中に人がいると気付く人はいない。
人は皆通り過ぎるが、どういうわけか猫は気付いてくれる。
最近は、猫にもリードをつけて散歩させている人をよく見かける。
すれ違うとき、初対面の猫が、百発百中、こちらにターッと走り寄ってくる。
撫でようとしてしゃがみ込むと、膝に丸い前足を載せて興味津々で私を見ている。
やはり、無言の人間の発する気配には、人より猫の方がアンテナ感度がいいのだな。
ヒトは恐らく、進化の過程で何らかの必要性があって
言葉にならないものをキャッチするアンテナを喪失したのだろう。
そうして変質した結果、「ヒト」は「人」になったのだろう。
ありがとう、歩み寄ってくれて。
人の中には、あなたと同じことが出来る個体が殆ど存在しないんだよ。
警戒するか、張り合ってくるか、試し行動に出るか。
だいたいその三択なの。
この三つ、全部名前は違うけど、中身は一緒。
「疎外」。
あなたみたいに無邪気に、完全な信頼をもって、いきなり懐くなんて。
そんな芸当ができる人は、なかなかいない。
この世界が、人だけの世界でなくて本当に良かった。
昔、アンジェリーナ・ジョリーがインタビューで、タイで養子を取った時のことを語っていて、
「こんな私を信用してくれたから」
と言っていたが、ああ、似たような感覚なのかも、と思った。
ただ、クリエイティブ畑に移ってからは、ゆっくりゆっくり状況が変わってきているのを感じる。
というのも、私が琥珀色の瓶から出なくても、
「どうもこの瓶の中に、自分好みのものがありそうだ」
と嗅ぎつける人たちが、ちらほら出てきたからだ。
クリエイティブ畑に移ってから、私は自分がずっと閉じこもっていた瓶の中を、コツコツ変えてきた。
今までよりも綺麗で快適な場所になるように。
そして、濃い琥珀色を少し薄めて、瓶の透明度をちょっと上げた。
それで、瓶の中の様子が、少し分かりやすくなったと思う。
外の人たちには、その瓶の中でお手入れをしている私の姿は、まだ見えていないだろう。
むしろそれで構わないのではないかという気もする。
そして、こうなってみると、ずっと瓶の中にいたことも、結局正解だったのではないかとも思う。
無理して、体質的に合わない瓶の外の世界に出て。
しなくていいケガをして、罹る必要のない感染症に罹って。
持って生まれた私の一番大切なものを劣化、変質させて。
瓶の中を独創的に、美しく整える才能が損なわれてしまうくらいなら。
瓶の中で一人ぽっちでいることが、私にとっては最適解だったのかもしれない。
成し遂げるまでは
自分の夢や希望を他人に見せてはならない
他人の割れた鏡に反映され、醜く歪んだ夢や希望を目にしたら
その姿は、自分が思い描いているものとはあまりに違い
それを成し遂げようという気力が挫かれてしまうから
ロマン・ロランが、こういう趣旨のことを言っている。
瓶の中に閉じこもっていたおかげで、私はこの陥穽に陥らずに済んだとも言えるだろう。
今制作中のものは、遺書のつもりで完成させようと思う。
自分がこれまで悲しんできた悲しみのすべてが
作品を構成する要素を隅々まで浸しているような
物静かで雄弁な作品に仕上げよう。
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