ちょっと吐き出し中。
だから読まなくてもいいよ。
長いから。
うつ病になるとね、騒がしい音や高音、興奮気味に喋りまくる人の声、そしてLEDの光(特に点滅するやつ)すらも刺激になって本当に辛いんだってこと、あまり知られてないみたい。
私も、これって私だけなのかな、気のせいなのかな、大げさすぎるのかな、とずいぶん悩んだけど、現実、つらいものはつらい。
そうしたら最近になって見たある記事から、やっぱり鬱の人には過剰な刺激になってしまうんだって知った。
私の場合、だるくて動けなくてしんどかった頃、毎朝、毎朝、私の部屋の正面の洗面所で母がガラガラガラ!カーッ!ペッ!ってたんを吐く音がもう生理的に耐えられず。
たんを吐く前は、使った歯ブラシをカップの中でガチャガチャガチャッてかき回して音立てて洗うので、もう朝は母が洗面所へ行くとおふとんの中で耳をふさいでた。
虫酸が走るほどの強い嫌悪感、雑な音が引き金になり、頭の中が引っかき回されるような不快感に我慢ができなくなり、母にもう少し静かにしてくれ、タンを、吐き出す音が生理的に耐えられないからと頼んだら逆ギレしまくられた。
なによっ!親のことが気持ち悪いっていうの?! と。
いや、そうじゃなくて音をもう少し静かにしてくれと。。。
仕方ないじゃないのッ!朝はタンが絡むのよッ!
全く聞く耳なし。
それでも毎朝、毎朝、体中を虫が這うような不快感がひどくなる一方で耐えられず、「お願いだから」「本当にお願い!鬱ってそういう病気なの!騒音が刺激になるの!本当に頭の中が気持ち悪くなるのよ」と悲痛な気持ちで伝えても、相変わらず「なによっ!」と逆ギレ。
もうわかってもらえない、というより分かろうとする気さえないんだと、絶望しながら泣きながら部屋に戻ってベッドに潜り込んだことは覚えてる。
それでも少しは考えたか、控えめになったけど少し経てばいつもの通り。
もう諦めた。
諦めて相変わらずお布団の中で耳を塞いで体を縮こませて硬くして耐えた。
こうまで必死に訴えても真剣に耳をかそうともしない。
そもそも私の病気のことを理解しようともしない。
毎日「どうすんのよ!いつまで寝てるのよ!仕事はどうするのよ!」と責め立てられ、私は泣くしかなかった。言葉にならない嫌悪や絶望や情けなさで涙が止まらず、そんな私を嘲笑うように「フン!すぐ泣くんだから!なんで泣くのよ!」と。
泣けてしまうのは、これが私の親なんだと情けなかったからだよ。
少しでも娘が大事と思うなら鬱について知ろうとしたはず。
なのに母は知らん顔してた。
知ろうともしなかった。
病んで毎日死ぬことしか考えていなかった私を責め立ててばかりいた。追い打ちをかけまくってきた。
この人、私を死なせたいんだろうかと本気で思った。
一方では、テレビの「◯子の部屋」に出てた長らく休業していた芸能人が「実はうつ病を患って入院していて、」などと話してたことを、「ねぇ、◯◯も鬱だったんだって。鬱になると△△らしいわね」と目を丸くして私に言ってくる。
その無神経さが信じられず。
「だからさ、そう言ったじゃない!私は何度も言ったよ!そういう症状になるんだよ!自分ではどうにもならないの。それなのにママは!何で私が訴えてるときには聞く耳持たなくてTVの芸能人が言うと初めて知ったような顔をするのよ!」と虚しくも言い返すと「何よ!なんだかあんたに責められてる気がする」と言うから、「そうよ!責めてるもの!」と。
そんな全くかみ合わないやり取りが虚しくて。
泣きながら母の前で睡眠薬を全部口に放り込んだ。
そんな私を母は横目で見ながら「フン!何やってんのよっ!」とバカにしたように吐き捨てただけ。
そして私が病んでるピークで母は家を出ていった。
ある日、突然。いかにも自分は哀れな母親でござい、と言わんばかりのヨヨヨと泣くような声で「じゃあね、◯◯ちゃん(私の名)」と、ドアをパタンと締めて、迎えに来た兄の車で出ていった。
あの頃、鬱に陥って引きこもる子供が親に暴力を振るったりする事件がけっこう起きてたから、あ、私に危害加えられると思って怖くなったから家を出ていくんだ、とすぐ分かった。
そこんとこは、ほら、親子だから。
母の思考パターンなんて手に取るように分かるのよ。
急に静かになった家の中で、呆れ返って私は天井を眺めながらベッドで横たわってた。体は相変わらず重くて起き上がれないから。
そして呟いたんだ。
「スゲェな。。。」と。
「自殺しそうな娘を捨てて出て行くわけだ。へぇぇぇ〜」と。
あれが親、あれが私を責めるたび「私なんてどれだけあんたに愛情かけてきてか!」とわめいていた愛情深い母親。。。
呆れるしかない。
でもものすごくホッとして、シーンと静まり返った家の中で、変なハナシだけど、やっとやっと思う存分、鬱に浸った。
誰からも追い詰められることなく、誰からも否定されたり怒鳴られたり、不快な騒音を立てられ悩まされることなく。
鬱であることに徹することができる。
それまでは、鬱症状をひどくすることばかり追い打ちかけられていて、ただでさえしんどいのに余計なストレスで訳がわからなくなってたから。
どれだけの日数をそのまま寝たり起きたりして過ごしたか記憶にないし、その間、何を食べて洗濯や掃除をどうしてたか、だなんて全く覚えてない。
私の鬱が回復し(後遺症はずっと残ったけど)、その後はうやむやのうちに和解したような形にはなったけど、私が鬱で苦しんでいた時の母の言ったことやしたことや、最高に状態が悪かった時に家を出ていったことを、やっぱり許せてなかったんだと思う。
出ていってくれて心底ホッとしたけれど、イザとなると自分だけ無事で居ようとする母を、人としてどうしても許せなかったんだと思う。
その後は紆余曲折あり、結果的に母と絶縁した。
我慢ならないことがあった。
もうどうにも許せないことを口にした母を切り捨てた。
我慢の限界が来たんだ。
兄のところで私のことをひたすら悪く言いまくってたらしいけど。
私にも「産まなければ良かった」と悪意に満ちた不幸の手紙を送りつけてきたりしたけど、もう何も感じない。
あーそうでしょうね、あなたならそういうこと言うでしょうね、と思っただけ。
そんな手紙で私を傷つけて、まだ思い通りにできると思ってるのね?悪いけど、もうそういうテはきかないから。
全ては私が悪いと、私がわがままなせいだと思ってた兄たちも、母の他責思考としつこい愚痴の被害を今度は自分たちも浴びる立場になって、ようやく私が背負ってきたものに気づいてくれた。
「あれじゃお前もたまらんかったわな」と。
そうだよ。たまらなかったよ。
お兄ちゃんたちが好きなように生きていた間、私はずーーーッと母の犠牲になってきたんだよ。
私はもう母親に人生を食いつぶされたくないと思ったから捨てたんだ。
もう限界が来たんだ。
何もかも私のせいにするような母親なんていらない。
鬱になったのも、母が私を自分の感情のサンドバッグにしてきたからだ。幼い頃からずーーーッと。頭の中がおかしくならないほうが不思議なほど。
もう我慢しない。
もう母のために自分を犠牲にしない。
そう決めたんだ。
そうして、今や誰からもまともに相手にされなくなった母。
ヘタに言い返したり言い聞かせようなんてしたら、ギャーギャー怒りまくって、むしろ数百倍面倒なことになると悟った兄たちは、表面的にはご機嫌を損ねないよう接しながら、誰も親身に寄り添おうなんて気はない。
仕方がないよ。
あなたがしてきたことよりはマシだよ。
少なくとも私たち兄弟は、あなたが私にしたように感情的に殴ったりものを投げつけたりひどい人格否定の言葉を浴びせたりはしないから。
それだけはマシだと思ってよね。
な〜んて言っても分かんないだろうな。子供にしてきたことなんてぜーんぶ忘れて自分だけが被害者だと思ってるから。
そうして今や認知症が出始めたけど、あーそうですか、くらいの感想しか出てこない。
赤の他人が認知症になったと聞いた時より、よほど何の感想も出てこない。
私が脳の異常で鬱症状に苦しんでいた時、最も理解して寄り添ってほしかった時、理解しようと努力するどころか責め立て、私のささやかな頼み事にさえ「なによっ!」と聞く耳する持たなかった人が、今更、ボケようが何しようが、あーそうですか、という感慨しかないんだな。
私が鬱になって苦しがってた時、あなた言ったよね?
「私は関係ないでしょ!なによ!自分が悪いんじゃない!」と。
あの時も私は呆れてしまって「ふぅう〜ん。鬱になったのは全部私が悪いんだ。へぇ、そうなんだね」と呟いたら、何かブツブツ言って怯えてた。当然私が冷静になったから怖かったんだと思う。
今は同じ言葉返すわ。「認知症になったのなんて自分が悪いんでしょ!」
そもそも鬱になるまで私を追い詰めた人なんて今更、同情すらわかない。
どう頑張ってもそんな気持ちが出てこない。
自分だけがヒロインになりたかった母。娘より自分が大事だった母。娘に、母親である自分を優先させたがった母。
あのね、人から大事にされたければ、まず相手を尊重するんだよ、大事に扱うんだよ。
それをしないで暴言吐きまくり感情のサンドバッグにして手と言葉で叩いて傷つけた相手から優しくしてもらえるなんて、どうして思えたの?
ずいぶんと虫がいいこと考えてたのね。
今やあなたが一番なりたかった悲劇のヒロインに、本当になれたんだから良かったよね?
娘に捨てられ息子たちにも呆れられ、誰からも本気で相手にされない、そりゃあ悲劇のヒロインだわ。
私は今もあなたから受けた心の傷に事あるごとに足を引っ張られ、人生が思うように回らない。
病んでは薬を飲み、治ってはまた病むの繰り返しで。
もうあなたのことなんか関わってる暇はないの。あなたのせいだけど、それすらもう気にしない。どうでもいい。誰のせいにしたところで現実は変わらないのだから。
亡くなってもたぶん、お葬式には行かないな。たぶん泣かない。泣けないよ。
母のおかげで私は強くなった。
皮肉なことね。
絶望の深い穴をのぞき込んだことがあるとね、泣きたくても涙一滴出なくなるのよ。泣いたって、あなたに傷つけられた過去は変えられない。
傷つけられたがために今も心を病みがちな現実も変わらない。
病みながら、心と体が痛くて辛くてそれでも死ぬこともできず生きていくしかない。
今更あなたを責めたところで私の無駄に費やした時間は戻らない。
前を向くのは苦しい。だからせめてもっと苦しい過去の重荷は切り捨てることにしたの。
自分でまいたタネは刈り取らなきゃならない。
私はもうこれ以上、あなたが蒔いた種まで刈り取ることはできない。
自分の分だけで精一杯。
心が柔らかかった頃は傷つきまくってた。
でも傷つきすぎて皮膚が厚くなり丈夫になるように、私の心も厚く丈夫になってしまった。
泣き対気分なのに泣けないのは苦しい。時には。
けれど泣いても何も戻っては来ない。
やり直すこともできない。
泣けない自分にため息をつきながら生きていかなきゃならない。
この苦しさは誰が私に背負わせたの?
可哀想なママ。自分が何をしてきたかどれだけ私を傷つけたか、それが結果的にどれだけ自分の価値を下げ子どもたちからの信頼を失ったか。
最後の最後まで分からないんでしょうね。
良かったね認知症が始まって。
もう何も分かんなくていいんだもんね。
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