青空文庫で、太宰治の女生徒を読みました。
学校のパソコンで、授業中暇さえあれば読んでました。
恐らく私はこの本を見かける度に、
この本があったから公立高校に落ちたんだと思うことでしょう。
けれども、太宰文学に私の人生を滅茶苦茶にされたのなら、それは本望です。
「貴方の手で、私を滅茶苦茶にして」と、マゾヒスティックな人が言うように、
好きな物に人生を壊されたのならば、私はずっと好きな物の手のひらの上で踊らされているということですから、いいのです。
私の中にもMな思想が組み込まれているのかしら……
さて、女生徒を読んでの感想ですが、
私は初めて女生徒を読んで、
なんでこの女はこうも世界が薄暗く小汚く見えているんだと思いました。
何に対しても厭と言う。
可哀想な犬を虐める。
どんな時もどこか皮肉を孕んだ物言いをする。
すごく嫌な女だと思いました。
こいつみたいな奴と絶対に付き合いたくない、と思いました。
一緒に居てもネガティブすぎて疲れてしまいそう。
表層しか見ていないからそう見えるのかもしれません。
世の中にはもっと主人公が輝かしい人物に見える方が居るかもしれません。
しかし私はどうもそう見えないのです。
しかしそれと同時に、私以外の女の多くは、似たようなことを考えて生きているのかしら、と、少し怖いことを考えました。
世界が好きだと思っている私のような人間は希少種で、よく「世界が嫌いだ」なんて言っている人達には、世界は主人公が見ているように見えていたのだとしたらと、思いました。
そんな人に、私の「世界が好きだ」という言葉はきっと、それはそれは嫌な言葉に見えるでしょう。
メンタルがやられている時に見るポジティブが、逆にしんどいあれです。
自分という人間を、よぉく考える機会となる本だった気がします。
読んでいて、1番心がぐっ、となったのは、
主人公が彼女のお母さんと本を読むところ。
主人公はわざと母が喜ぶようにふざけて、母の前で子供で居ようとしていて、それがどうしても自分と重なって見えてしまいました。
母に喜んでもらいたいと、私はいつでも思っていますので。
こう見えて母が大好きなのです。
「もう私は、子供ではないのですよ」
の言葉が、どうも苦しくて。
その理由は自分でもわかっていませんが、
なにか私の中には母に対して引っ掛かりがあるのかもしれないです。
そんな感じで、自分の中の何かが見えたような気がしないでもない1冊でした。
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