リストカット(自傷)に関するとある動画を見た時に、ある種カルチャー(文化?)になっちゃってる的な?
それ聴いて、「ああ、なるほどな」と思ったわけです。
コミュニティの形成があるわけですな。
たとえば、ここ。【宛名のないメール】であれば、なんとなーく、『人に言えない思い(苦しい系)を吐露するとこ』みたいな雰囲気になってる……的な?
友達いなくて楽しい話も共有できないからここでHAPPY♪な話を綴ってもいいんだけど、もしかして雰囲気的にちょっと違う?と、感じてしまうことももしかしたらあるのかもしれないとか私が勝手に考えてるだけなんだけども。これ仮の話。仮にそうだったとして、幸せになっちゃったらもうここにいないほうがいいのかな……とかそういうのが自傷にも存在するかも?っていうことなの、たぶん。
リストカットしてるから、仲間に入れる……なんていう「ちょっと待って」って言いたくなるようなことがあるのかも?
その動画、お酒をたとえに出してたけど、それはわかりやすいと思う。今は時代的に「飲めなくってもええねん♪」となっておりますが、酒の付き合いできたほうが円滑に〜ということがあるとかないとか。
無理してお酒飲んだほうが〜
無理してるほうが美徳な世界が……
なんかやっぱ、世界って、生物って、人間って、変かも。
今回言いたかったのは、もしそんな、なんか、ひとりぼっちにならないために自傷してるんだったらどうなんだろうなあ? と思考してました。って話。
自傷してる仲間内の中では、“自傷してる自分” が “肯定”されるからそれで……なんてなってたらどうしようかなあ?
無意識に、自傷時の心地良さ+そういうコミュニティの一員である心地良さが存在している可能性……
まあ、なんかわかんない。わたしは深く切ってるわけではないし、これくらいなら自分の生きづらさや他人の生きづらさには繋がらないと思って自己判断でたまーに抑えきれない思い(どこにやっていいかわからない思い?)を自分を傷付けることで発散?してるわけで。
どう考えればいいんだろう?どう向き合えばいいんだろう?その必要はある?
とにかく今日も生きたんだ。
おつかれさま。
じゃあ、またね
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