独り言なのであまり気にしないでください。
「死」が存在しなければ、死について考えることも無く、
悲しむこともなく過ごせるのに・・・
「感情」さえなければ、悲しむことも悩むことないのに・・・
無いほうがいいと思うときがある。
「無駄」というカテゴリに分別して、気楽になればいいのに、
その「無駄」がなくなると何も見えなくなる。
「重要なこと」とか、一般に「自由」と呼ばれているもの。
それは自分にとって、「重要」と「自由」なのかと考える。
「感情」が無ければいいと言ったけど、
単に、私は「感情」の薄い人間か、冷酷な人間なのかもしれない。
「無駄」だと言ったけど、
私は、「無駄」だと、誰も見ないだろうと思ってメールを書いている。
人から評価されたいとか、尊敬されたい気持ちは少なからずあるが、
他人が思う「人物像」だけはなりたくない。
ときに、「どうしようもない」と思い。
「無駄」な時間を過ごす。
「このままでいいのだろうか」と考えても、
「明確な目的はないまま」だった。
今でも、何が「重要」であって、「自由」なのか分からない。
一生探し続けると思う。
私にとって、何かを「否定」したい米粒のような「怒りの感情」が何か
今は、はっきりしない・・・
すいません。まどろっこしい文章になってしまいました。
私は、言葉にして気持ちを伝えることは得意ではありません。
でも、作曲家が歌詞を作るように、少しでも伝わればいいです。
2013.9.3
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ななしさん
ニーチェ 超人
で調べてみれ
ななしさん
感情に手をつけられない人はとても感情と繋がっている気がしています。
自分の感情の核に触らないでその周りで理性を働かせようとしていらっしゃる気がしています。
バランスが最重要だとは思いませんが、時に自分の中に突っ込んでいくのは必要かと常々思います。人は本能、感情、思考のエネルギーを持っているからです。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。
本能も感情も思考も人が持つエネルギーだと思います。
でも、そのエネルギーをどう使うか本人しだい。
そのエネルギーをどう使うか、考えてみます。
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