独り言なのであまり気にしないでください。
「死」が存在しなければ、死について考えることも無く、
悲しむこともなく過ごせるのに・・・
「感情」さえなければ、悲しむことも悩むことないのに・・・
無いほうがいいと思うときがある。
「無駄」というカテゴリに分別して、気楽になればいいのに、
その「無駄」がなくなると何も見えなくなる。
「重要なこと」とか、一般に「自由」と呼ばれているもの。
それは自分にとって、「重要」と「自由」なのかと考える。
「感情」が無ければいいと言ったけど、
単に、私は「感情」の薄い人間か、冷酷な人間なのかもしれない。
「無駄」だと言ったけど、
私は、「無駄」だと、誰も見ないだろうと思ってメールを書いている。
人から評価されたいとか、尊敬されたい気持ちは少なからずあるが、
他人が思う「人物像」だけはなりたくない。
ときに、「どうしようもない」と思い。
「無駄」な時間を過ごす。
「このままでいいのだろうか」と考えても、
「明確な目的はないまま」だった。
今でも、何が「重要」であって、「自由」なのか分からない。
一生探し続けると思う。
私にとって、何かを「否定」したい米粒のような「怒りの感情」が何か
今は、はっきりしない・・・
すいません。まどろっこしい文章になってしまいました。
私は、言葉にして気持ちを伝えることは得意ではありません。
でも、作曲家が歌詞を作るように、少しでも伝わればいいです。
2013.9.3