私には死にたい人を止められない
止めようがない
止めるだけの理由がない
私はその人じゃないから
その人の苦しみの大きさなんてわからない
死んだ方が楽だと思ってしまうほどの
苦しみも恐らく存在する
だから自殺者は減らないんだろう
命を絶ちたくなるほどのその人の苦しみ
それもわからないのに
「死なないで」
「世の中には生きたくても生きられない云々」
「もっと苦しい人が云々」
「いつか生きててよかったと思える」
「鬱や自殺は甘え」
「苦しかった分いいことがある」
なんて
言えない
でも例えば大きな苦しみを抱えて
もう死にたいと私の大切な友人が言ったとしたら
私には止めようがなかれど
生きててほしいとやはり思ってしまうわけで。
心と言葉って難しい
考えれば考えるだけ悲しい
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ななしさん
自殺すべき理由がないように、自殺しないで生きるべき理由もないんだよ。「いかに生きるべきか」に関して、いやさらに「はたして生きるべきか」に関してさえ、いかなる理由も挙げることはできない。中島義道『生きるのも死ぬのもイヤなきみへ』
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です、お返事ありがとうございます。
最初に読んだとき、驚きの意味でしばらく固まってしまいました。
そうですよね。生死に関しては善悪や正誤のつけようがありませんよね。
少し考えさせるような文献の引用、感謝いたします。
ありがとうございました。
ななしさん
理由あるじゃん
生きててほしいって
身勝手でいいと思うよ、それで少しでも思い止まってくれたら御の字じゃん
ななしさん
死にたいとまでその人が
苦しんでいるなら
どうか
一緒にいてあげてください
愚痴を聞いてあげてください
それだけで救われる命もあると思います
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