しにたい
生きていたくない
がんばれない
つらいよ
ひとりにしないで
何か出来るようになるイメージが持てないよ
こわいよ
きらいにならないで
わたしがもっといいこだったらよかったのに
ママごめんね
パパわたしのことみてよ
家庭が崩れたらいいって思ってたけどいざなるとやっぱりつらいよ
せめてわたしのせいせきがよかったら負担へらせるのに
けんかしたくないよ
誇れるものなんてなにもないよ
自分に失望したくないよ
まだ出来るんだって信じていたいよ
でも頑張れないよ
頑張ってもないけど
やる気が継続できないよ
たすけてよ
今頑張らないといつ頑張るんだっていわれても
世の中理不尽なことばっかだよ
きれいなままではいられないよ
すごく醜くなったよ
息ができない
できるけど
もうしにたいよ
じさつがわるいことだとおもえなくなったよ
わたしはなにもできなくなったよ
そんざいいぎがわからないよ
いてもいなくてもおなじとはまではいわないけど
すくなくともわたしがいなくなることでいるときにくらべてふたんはへるんじゃないかな
かなしいけど
せめてわたしにしぬゆうきがあれば
けどこわいからしねないの
でもいきていなくないから
ななしさん
人生は辛く苦しいものだ。それでも、人は生きていかねばならない。それがこの世に生まれた者としての義務である。人は、それぞれ背負うものがある。あなたは今苦しみを背負っている。耐える、ただそれだけである。それがいかに辛いものか。自分も良く知っている。それでも投げ出さずに、苦しくても死なずに生きる。人生を投げ出したくなる衝動に耐え、苦しくてもとにかく自分が生きるためにすべきことをただひたすらやる。そのような苦しみの先に、生きることの滋味を感じることができる。毎日の当たり前だと思っていることがいかにありがたいか、知ることができる。耐えると言っても、つらくても生ける屍を背負って、それでも毎日を過ごすことである。そのための奇策などあろう筈もない。自分が今できることをし続ける。
もし神仏に祈りたいのならば祈ればいい。ただ、助けてもらったら、彼らに対するお礼を忘れてはいけない。それが人間としての礼節である。神仏に祈るとして、祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
この辺で書くのを止める。