アル中の父親が死んだとき自分は小学生だった。
もともと母親は行方知れずだったから、途方に暮れた。
親戚のところに行ったがほっとかれてて、食料目当てで万引きを繰り返した。
洋服は、だいたい直して使ってたけど成長期だから。どんなに頑張ってもおかしくなる。
だからそれもたまに盗んだ。
今考えると物凄い目つきで周りを見てた。
自分を閉じ込めて良い暮らししてる大人が憎かった。
嫌いだった。
許せなかった。
手に負えない非行少年と見られてた。
「腹が減ったから盗りました」なんて口がさけても言えない
助けなんて求めても無駄
…自分の悪いプライドが許さなかった。
孤立していただろうけど、気にする余裕はなかった。
休みに親戚が旅行へ行ってしまうと地獄だった。
残飯もないとか、みたいな。
店にもだいぶ顔覚えられてるし。
喉渇いたと腹減ったと暑い寒いしか考えてなかった。
ある日、街をぶらぶらしてたらおっさんに話しかけられた。
可哀相と思ったのかも知れんし、ラッキーと思ったのかも知れん。
おっさんとあまりよろしくないことをした。
何度もそういうことをした。
歯を食いしばって堪えれば飯が食える。
こんな良い話はなかった。
でも自分だって男だから、悔しかった。
おっさんを見送って帰るときはいつも、高い建物からコンクリ見下ろして、「俺も死んだらええやん」と思った。
中1の途中まではそんな生活だった。
でもある時(たしか喝上げしたとき)「お前どうしようもねぇから店手伝え」って知り合いから言われて、きっつい雑用と朝飯をもらった。
救われたようなもんだ。
その頃は正直もう自暴自棄だったから。
雑用もきつかったけど暴力がきつかった。
一方的にやられるってこんな痛いのかと思った。
「俺が怖いか」といつも聞かれた。
孤独は怖くない、痛みも怖くない、酒も薬も怖くない、病気も怖くない(後から分かったが自分はてんかん持ちだった)、と毎日言い聞かされた。
「死ぬのは怖いか」と聞かれたら首絞められながらでも否定しないと散々な目にあった。
「あなたが一番怖いです」って言わなきゃいけなかったし、本当にあの人が一番怖かった。
今思えばめちゃくちゃな話だが、当時の自分にとってはそれが全てだった。
初めて自分と向き合ってくれた大人だったし
怖いものは一つしかないっていうのが凄く心強かった。
生きていけると思った。
多分…、自分は不安だったんだと思う。
殺されるんじゃないかと思いながらも、毎日通っていたから。
この間、その知り合いが亡くなったと聞いた。
死ぬより怖い人が死んだんだな…と思った。
16のときに頭がおかしくなった自分は、すんでのところで保護されて少しのあいだ施設(病院?)に。
その頃の記憶は飛び飛びだが、
今は薬があれば普通に暮らせるくらいまで回復した。
親戚とも知り合いとも話はついて、関わりはなかった。
葬式とかには行かなかった。
自分は、生きてますよ、という
何とも言いにくい気持ちで、手を合わせた。
聴いてくれてありがとう。