人の幸せは、
数え切れないほどの不幸のうえに
成り立っているものだと思う。
たくさんの不幸がなければ、
人は目の前にある小さな幸せにさえ
気づくことはない。
不幸に逢って弱った心は、
すこしの優しさを与えられるだけで、
まるで水をたっぷり吸った植物のように、
あっという間に元気になる。
けれど、
常に幸せなものに、
さらに幸せを与えても、
それを幸せだとは思わないのだろう。
当たり前に側にある幸せ。
当たり前過ぎて幸せだと気づかない。
失って初めて、
それが幸せだったと気づくのだろう。
失ってから気づいても、
二度と取り戻すことはできないのだ。
でもやっぱり人間だから、
すぐに忘れてしまう。
だから幸せというのは、
不幸のうえに成り立つのだろう。
人の幸せは、不幸なしでは感じられない。
手には入らない。
欲しければ、
必死にもがいて苦痛を知ることだ。
人にとっての苦痛は、
幸せを得るための道具に過ぎないのだから。
大きい苦痛は大きな幸せを得るために。
小さい苦痛はちょっとした幸せを得るために。
不幸があればあるほど、
入ってくる幸せもそれなりに多い。
だから不幸は永遠に無くならない。