名前のない小瓶
わかるっ!
あまりにわかるので、自分の話を書きたくなったので
一方的にお返事。
わたしは、もともと、他者依存の他力本願が
服を着て歩いているような生ぬるい人間で、
(天性のなまけものでもあるのかも。。)
今も、それは、決して皆無ではありませんが、
自分のことを、自分でこなすと、ちょっと気持ちがいいので
(達成感、充実)
まさに、模索&試行錯誤で勝手にやっています。
が、他人がその姿を見ると、
単に、もたもたしている、
でも、一生懸命にやっているから、手を差し伸べてあげなくちゃ
という、庇護本能が勝手に働くらしく
(さすがに、こっちもだんだん、気づいてきたさ)
ちょっと手間取っていると
「庇護本能、善意」という建前で
先回りして、ぜんぶやろうとしてきたりします。
(あたしの用事なのに!)
他者依存の他力本願を軸にして生きているのなら
「へっへっへ〜,いいカモがきたぜ」と
こちら側も思うのかもしれませんが、
わたしは、正直、子どもの頃から、
自分が自分の足で立つことを放棄した要因のひとつは
「まさにこれ」ということもいやになるほど
知っているので、
生きるというのは、自分が自分の面倒をみれるようになることだ
と、
ぼんやりですが、最近は思っているので、
(ふ〜前置き長い)
「ありがとう、でも、これ、自分でするね」と言います。
または、
「ありがとう、でも、自分できるようにならないと
身に付かないし、今度、ひとりで出来ないと
いけない状況のときもあるので
覚えたいから自分でするね」といいます。
自立は、意固地とも違うので(あたりまえだよ)
「わかんないときは、教えてもらうこともあるかもしれんので
そんときは、是非よろしくね」と
付け加えることもあります。
たまには相手に花を持たせることもありますが
(やってもらう)
8割がたはお断りします。
(いやいやです、でも割り切ってサービス)
正直、これを言って、いやな顔をする人は、
相手の人が(あくまで傾向、狭い世界での)
相手にほどこすことで、承認欲求を得たい人が多いです。
(かまってちゃんもかな?)
でも、わたしは、そんなもんに付き合う理由はないので
無視するし、あんまり、合わねーだろうなって
少しだけ思います。
逆に,こちらの意思表示をしても
「あら、そうなの!」って顔をする人もいて
それは、若干は驚いているor自分の意図を汲んでもらえなかったショックもあるかもしれませんが
同時に「ああ、この人はこの面はそういう尺度の人なのか」と
理解してくれる人もちゃんといるので
(結構、人は人,わたしはわたしの人が多かった)
こっちの人の方が、個人的には気が楽です。
が、特例もあって、
こちらが、なにに困惑しているかを察知して
最小のヒントだけ投げてくれて
「あとは、おまえ、自力でやれよ!」という
ナイスアシスト(プロの域)の人もいるので
それに当たると、かみさまみたいで,拝みたくなります。
すいません・・
あまりにながくなってしまった。
斜め読みの,読み飛ばしでもいいですからね。