宛めに来たのは、いつぶりでしょうか
最後に書いた三通目以来、俺はここに来ることが出来ませんでした。
覚えている人はいないのではないかと思います。父親の暴力に悩んでいた、男子バレー部員です。
本当はもっと早くに報告をしたかったのですが、俺は頭がおかしくなっていたので、ちょっと余裕なかったです。
今は家を出て、バイトをしながら大学に通っています。最初の方は欠席ばかりでしたが、今はちゃんと出席してます。
ずっと支えてくれた友人と二人暮らしをしていて、友人とはバイト先も大学も一緒です。
父の居ない生活は、驚く程に負担のない生活で、最初は全く落ち着けませんでした。
居ないとわかっているのに、玄関の方で音がすると、父が帰って来た。と思ってしまう。今は、ここに住んでいることがいつかバレるのではないかと思っています。
気分が悪くなる話しをします。
苦手な方は、読まない方がいいです
ある日、父の声色が変わりました
「お前は母さんにそっくりだな」と
初めて聞いたのではないかと思われる優しい声に、嫌な予感がしました。
数日後、帰って来た父が俺にスマホを渡してきました。「書いてあるとおりにやれ」とだけ言い残し、自分の部屋に。
画面には、男同士で行為におよぶ前準備の説明が書いてありました。奥歯がガチガチなるほど体が震えたのを覚えています。
父が居なくなったあとは、ただ吐き続けました。胃が空っぽでも、胃液を吐き続けました。
部活では皆必死に練習し、汗だくになっています。サウナのような体育館の中でも、ジャージを脱ぎたくありませんでした。直接肌に触れられると吐きそうになるし、父は容赦ないからです。
着替えも、一番最後になるように自主練習をして時間を潰してました。最初は何も言わなかった友人がジャージを脱いでみろと言った時は、なんと言い訳をすればいいだろうと頭が動きました。
前のようにジャージを剥ぎ取られそうになった時、友人の手を叩き落とし、触るなと怒鳴ってしまいました。
それからも、友人は俺に声をかけてくれたけど、とても言えません。
冬にはジャージの人も増え、目立たなくなったけれど、一緒に着替えることは出来ませんでした。
全国に行くことは出来ませんでした
三戦目で敗れてしまいました。
その時にわからなくなったんです。
友人の夢を叶えられなかった
父も自分もきっと頭がおかしい
やりたいこともなくなった自分の生きる意味も希望もなくなった
服を着たまま風呂に浸かり、手首を切りました。長年一緒に過ごした友人とは凄いものです。眠くなってきた頃に家に入って来ました。その日は何も言わないで家に泊めてくれました。
あんなに触られたくなかったのに、優しく背中を擦ってくれた。全部吐き出してしまいたかった。気持ち悪い奴と思われるかもしれないとか考える暇もなく、今までのことを全部話しました。試合で疲れてたせいか、男二人でビービー泣いて、泣きつかれて寝ました。
それからは、父が居るときは友人の家に泊まるか、友人が俺の家にいました。
あの日を境に一度も殴られることなく卒業しました。
父には置き手紙をして家を出ました
それから夢遊病になって家の近くをうろうろしたり、父に似た人をみるとパニックをおこしたり……とにかく友人に迷惑をかけてしまいました。
優しい言葉をかけてくれてありがとうございました。また、来ます