白黒思考や極端な考え方は「いろんな考え方」のうちに入らないらしいね。
よく「いろんな考え方があるんだよ」と言われるけど、それっていろんな考え方があることを知れってこと?
それともいろんな考え方をしろってこと?
前者ならもちろん分かってる、そんなの当たり前じゃないの。
後者もなんか違和感感じる。
みんなそれぞれ違う考え方をするから「いろんな考え方がある」になるんだろうし。
みんながみんな「いろんな考え方」出来るようになったら、結局みんな同じ考え方になるってことになるだろうし。
なんかねぇ、体よく相手の考え方を否定する言葉に聞こえてしまう。
あーあ、なんかもうワケ分かんない。
やっぱ自分の考えは言わず適当に相手に合わせてもの言うのが一番かな〜
否定反論何か言いたいことがあればお好きにどうぞ。
それこそ
「いろんな考え方がある」
んですから。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
小瓶主さんの言う通りですよ
いろんな考え方があるんだよ
という言葉は
>体よく相手の考え方を否定する言葉に聞こえてしまう。
ためだったり、
白黒思考を否定するのは、論理的でない考えを押し通すための方便で使われる時があります。
色々な考え方があるという人ほど、色々な考えを認めてなどいない傾向があるようです。
だから、そのような主張に出遭った時は、真正面から受け取らない方が良いです。あなたの考え方も、話も通じない相手ですから。
そしてこちらから話すのもやめましょう。戦わず、自己否定もしない様に。
ななしさん
あくまでも推測ですが、
あなたに「いろんな考え方がある」
とおっしゃった方は、
あなたのことが好きで、
あなたの助けになりたくて、
そっと道を示してくれたのでは
ないでしょうか。
白黒思考は苦しくないですか?
わたしも昔極端な考え方をしていました。
絶望していたと言ってもいいです。
これ以外に選択肢はないんだ、
と思い込むことによって
必死で自分を守っていました。
まさに、溺れるものは藁をも掴む。
でもね、結局のところ溺れている原因は、
今となってはもう
すがっている藁にあるんです。
二極化された思考では、
複雑で入りくんだ可能性まで
考えることができません。
現実は人間の認識より、
ずっとずっと複雑です。
現実の問題を見極め、
自分の心を楽にするためには、
思考を柔軟にする必要があります。
その程度の、技術の話です。
あなたには
白黒思考を正しいと思うだけの
理由と苦しみがあるのでしょう。
苦しむ心に寄り添ってくれるより先に
解決策を示されれば
苦しみを否定されたように感じて
当たり前です。
当然のようにいろんな考え方ができたら
この小瓶もお書きにならなかったのでは?
という、勝手な推測です。
否定でも反論でもありません。
白黒思考が悪くて、
いろんな考え方ができた方が良い、
というものでもありません。
的外れでもかまいません。
ひとつの可能性を示したくて、
お返事いたしました。
名前のない小瓶
どうだろう。
その、白黒思考や極端な考え方だって世の中にはありふれてるから、
それもまず「いろんな考え方」のなかに入ってるんじゃないかな。
あなたの考え方もすべて。
他の考え方が「いろんな考え方」として肯定されるんだから、あなたの考え方も認められるべきだね。
でも、そういう言い方をする人って、わりと言われる側の「考え」は認めないで、空想の大多数の「いろんな考え方」を押し付けてるみたいには見えちゃうね。
ななしさん
これもまた私の考えでしかないのだけど、白黒思考って一次元的な考え方なのに対して「色々な考え」って二次元的だと思う。
白い意見も黒い意見も確かに別々の意見で、それを言い出す事はとても意味があるし、勇気が必要な事だと思う。
ただ、白vs黒で争う時って、どちらを選んでも結局あんまり変わらない事が多い気がする。
それは、白も黒も実は同じラインの両端に位置していて、しかも目指すゴールはそのライン上にはないから。人間は最初に見つけた道に心をとらわれがち。色々な意見云々というのは、一人では思いつかない他の「線路」を知っておかないと、永遠に往復する電車に取り残されてしまうから、色々なルートを知っていて損はないよね、というニュアンスだと思う。
それから、我々が生きているのは三次元だという事も忘れないでほしい。
問題平面を上から見る方法も人によって違うし、何を目的にするかも違う。
そもそも問題を問題としてみなすか、という所で、「色々な見方」があるのだから
ななしさん
私は、許容範囲が広すぎて、
逆に白黒はっきりしてる人から見たらそれが気に食わないらしく、
よくターゲットにされます。
「いろんな考え方があるんだよ」
と言われたことはあまりない。
「必ずこうしないとダメ」と
よく言われる。
まあ、どっちが悪いとは思いません。
それはその人の性格だから。
ただ、どっちかといえば、
白黒はっきりしてて、こうあるべきという理想像を
持っている人の方が、社会では勝ち組になっている
気がします。
逆に許容範囲が広くてふにゃふにゃしている人は
社会では粗末に扱われているような気がします。
大事にされたいのなら、やっぱりある程度は
相手を突っぱねるくらいの意気がないと。
ななしさん
みんな前者の意味で言ってると思うよ。
そんなんわかってるよ、当たり前じゃん、
って言ってみた?
そしたらたぶん、(あ、わかってるんだ。わかってないかと思ったわっ)って思うんじゃないかと思うんだよね。
白と黒だけじゃないのに、他の色も知らないなんて勿体無い。教えてあげなきゃ、って感じかと思うんだけどどうだろ。
名前のない小瓶
>入らないらしいね。
・・って、別に、それは、あなた以外の人で
その考え方で生きることが生きづらいと思う人が
言ってるだけのことなので、
主さん自身が、白黒思考で生きていて
何ら違和感がないなら、それを幸せというのだと
私は思います。(イヤミじゃなくて)
誰かが、白黒思考(0か100か)ではない生き方をしていて
他に、ラクな生き方ないですかね〜?と
問うてきたなら、
堂々と、あなたがそれをすすめたって
何らおかしくないと思いますよ。
わたしは、小さいころから、白黒思考人生が長く
これで、自分の視野が極端に狭まり
(そのあいだにあるものを)
たくさんの見落とし、なおかつ生きづらくて
心理的に生きづらい時間を長く過ごしてきました。
だから「わたしは」、他人にはすすめない。
あと、もうそこへは生きたくもない。
(うんざり)
そんだけのことです。
ダイナマイトだって、使い方によっては
人殺しにも使えるし、古いビルを壊す発破のような
お役立ちとしても使えます。
それだけのことだとおもいますがねー
ハッキリ書くと、
あなたも、なんだかんだいって、自分の正しさを
多数に認めてもらえないと
不安な人、かな?という小瓶に思えました。
ななしさん
「視野を広く持て」ってことかな?
いろんな考え方があることを理解すること
自分の考え方を押し付けないこと
他人の考え方を否定しないこと
自分が正しいわけじゃないこと
他人が正しいわけではないこと
そもそも考え方に正しいも間違ってるもないこと
当たり前のことなのに、できない人が多い
というか気づくと自分の考えが全てになって意固地になったり、無意識に他人を否定しまうこともあるんだよね
相手は、あなたが1つの考え方に捕らわれていると勘違いしてるのかなと思った
もしくはあなたがグレーもあると知っていながら、気づかないうちに「白か黒だ」と言わんばかりの断定的な喋り方になっているのかもしれない
それで相手は「グレーもあるよ」というような当たり前のことを言っているという可能性もある
お互いに誤解し合っているのかも
ななしさん
例えば、あなたが公衆トイレに入った所、大便が流されないまま放置されていたとしましょう。あなたはそれを流し忘れかと判断し、タンクのレバーに手をかけます。その時大きな声でそれを制止しようとする人が現れ、あなたにこう言い放ちます。
「何してるの?水が勿体無いじゃないの!水を使うならせめてあなたが用を足してからにしなさい!!」
あなたはどう振る舞うのが「正解」だと思いますか。
色んな考えの色んな人達が一緒に暮らしていく上で必要なものってなんでしょうね。
ななしさん
なるほど〜
自分そんな深く考えたことなかったので すごい!
ほうほう、なんか腑に落ちました
ななしさん
3人寄れば文殊の智恵
3人の考えが文殊菩薩の智恵に匹敵するならば、10人寄ったらどうなるだろう?
智恵の持ち寄りって実はものすごいことなんです。
いろんな考え方も活かさなければなんの意味もありません。
冬
「色んな考え方がある」を、知ることと同じ考え方になるという風に分けておられますが、私は、考え方は同じにはならない、つまり統一はしないとおもいます。
「色んな考え方がある」とは、そのままの通りです。「色んな考え方がある」とはハートをオープンにして、自分の考え方を言うことです。違う考えの元に色んなことをすることです。私にとってはそれは頭の中の考えというより、それに基づいた行動だと感じます。
「そうね、あなたにも私とは違ってそれなりに考えがあるもんねー」という言い方は、ある意味同調圧力かもしれません。私ならこれは程よく人を否定するやり方だと思えます。
色んな考え方を、自分の外へ出すのは確かに勇気のいることかもしれません。でも外と内が一致していることは楽ですし、ストレスは少ないです。
だからって、みんな「色んな考え方」でやりたい風にやっていいのさ。自由でいいのさ〜。
ななしさん
世界はあなたそのものではないしあなたは世界そのものでもないでしょう。喧嘩がしたければ自身をリングに上げることです。自分が置き去りにした言葉に野次を浴びせても仕方がないでしょう。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。