私の父は人間のクズです
キチガイ
しね
こんなこと言ったら確実にころされます
頭がおかしいんです
私もクズです
何の役にもたたない木偶の坊です
私はなんで生まれてきたんでしょうか
脳ミソからっぽな父も
私も、しねばいい
でも、こわくてしねません
ごめんなさい
ごめんなさい
生きててごめんなさい
友達もいません
大事に思えないから
本当の意味で誰も好きになれません
私は何様なんでしょうか
でも、自分自身も相手のことも
ダメなところが気持ち悪いです
仲良くなるほど、距離を意識的に作ります
あんまり馴れ合いしたくないです
私はしにたくないのに父にはしんでほしいと思っています
最低です
恨まずにいられないのは、母たちが被害者だから
私は逃げているだけ
最低です
あの人は自分がなにをしてるか分からないくらい馬鹿なんです
じゃあ、仕方ないのでしょうか
私も父もしねばいい
しねしねしねしねしね
生きたいけどしにたいです
しぬなら、あのひともしなせないといけない絶対に
涙が止まらないのは私が悪いからです
あのひとをころすこともしぬこともできない
失うものがなにもないのに
いのちが重い
結局ただ苦しくて悔しくて怖くて泣きながら生きてるだけ
誰も助けてくれないことをとっくに知ってるから、ただ無気力なまましぬときがくるのを待ってる
私はいつもなにもできない木偶の坊
ななしさん
自分が愚かだと身を以て知るのも、大事なことである。自分の愚かさを嘆くのも、そこから前に進む為には必要なことである。親を恨んでも、その親を選んでこの世に来たのは自分なのであるから、余り意味がない。自分の愚かさを嘆いて嘆いて嘆き果てた末に、あなたの人生はある。そうして嘆き果てて愚かな自分を受け入れた先に、あなたの人生はある。愚かなら愚かなりに、人生はある。愚かなら愚かなりに、出来ることはある。
頭がいいならいいなりに、背負うものがある。自分が愚かでも、その自分にも人生はある。その自分にも、求める幸せがある。頭が良い人間としての幸せではないかも知れないが、自分なりの求める幸せはあると思う。理想とはかけ離れた自分を受け入れるのは、簡単なことではない。苦しみ嘆き、自分を責めたり人を責めたりして、そのようにしてはじめて、その自分を受け入れることが出来る。そのようにしてはじめて、どうしようもない自分を受け入れることが出来る。そうしてはじめて、自分の人生を歩んでいくことが出来る。
因みに、仏教の世界ではということにはなるが、頭が良くなる方法がない訳ではない。もっとも、本当に頭がよくなりたいと思うのでなければ続かないことではあるが。
この辺で書くのを止める。