小さい頃はよくアニメだとかのスーパーヒーロー、つまりは現実離れしたものに憧れたものだ。
一応いまも、若干その気はあるのだが。
特別というものにも憧れていた。
しかし、幾年も経った後考えてみると焦がれた特別というものはどうやら特別ではないらしい。特別ということが普通のように思える。
特別とは一体なんなのであろうか。
一番だとか、群を抜いているだとか、唯一だとかそんなイメージを昔は抱いていた気がする。
確かに一番でも格別でも唯一でもあるのだろうが、現在は明らかに根本が異なっている。
唯一、というものが、それぞれにある。ということは、そこにはまったく他者に対する傲りなど沸く筈もないのだ。
唯一、特別というものはただ一つでありながら、一つずつ無数に存在しているのだから、真には何も特別なものではない。
だが、恐らく言葉というものの表現によって、矛盾を孕んだ「特別」となっているのだろう。幼い私には実に難解な言葉だった。
面白いものだ。全てが特別で、しかしそれは何一つ特別なことでも別段愉快なことでもない。それが当たり前の、普通であるからこそ人はまたそれに気付かず、特別であろうとする者まで出てくる。
さらにその先、特別であるにも関わらず特別であろうとし、特別を得る者までいるというではないか。それが本当に特別かどうかはまったくもってわからない。
しかし、常に特別であることに間違いはないのだろう。
正直なところ、私だって人のことは言えない。
こういう思いをして尚、まだあの頃思い描いた特別になってみたいと思っている。
だが、やはり、心持ちがまるで違う。流石に現実と創作が違うことはわかっているが、憧れた特別な対象が、特に特別なことだとは思えなくなっているのだ。
素晴らしいだとか尊敬するだとか、そういうものが失われた訳ではない。
ただ、私も出来るのではないか、と。
自惚れかもしれない。しかし、やって見なければわからないということは、重々承知していると思う。できないことはできないのだと、わかっていると思う。
特にこれといって何を思う訳でもなく、そんな気がする。
こういうものはまあ、気がするだけでいいのだろうな。
といいつつ、やるにはやるが。やるというほどにはやらないが。
れでぃーがが。
おわりだが、なにか?
一言に突っこむのは無しだが。
....がおがいがー。