死は不可逆だ。
生きていれば死ねるが死んでいては生きられない。
だからこそ死の関わる問題はそれぞれの事情を持つ人のそれぞれの価値観があり、互いに譲れないものがある。
病気をして命の大切さに気がついた人
反対に病気に殺されるくらいならばと思う人
大切な存在がすぐそばにいる人
何かしらで家族友人知人を亡くした人
紛争のある国にいる子供たちの事情を目の当たりにした人
どうしようもない苦悩に苛まれる人
右も左も上も下も塞がってしまった人
命や自分自身の価値がわからなくなってしまった人
もうとにかく全てが面倒になってしまった人
自分を絶対悪として自分を憎む対象にしている人
輪っかに結ばれたロープや、白い紙の袋から出された沢山の錠剤や、剥き出しになった剃刀の前で誰かの顔が浮かぶ人
すべてがその人だけの事情で、価値観で、話すのは自由だけれど、押しつければそれはきっと争いの種にしかなり得ないのだろう。
しかしこの考えも、もしかすると誰かにとっての押しつけになってしまうだろうか。
人の心は計り知れない。
他人はもちろんその人自身にもきっと。
だから難しい。
だから二千年以上経っても答えらしい答えは出ない。
論は尽きない。
それぞれの事情のもとにきっとこれからも論は増えていくのだろう。
人が増えるほどに。
人が生きるほどに。
事情が増えるほどに。
「少なくとも生も死も簡単なものではない」とだけ、
私は私の事情のもとに言う。
論が尽きず苦悩する人間というものが、私は愛しい。