ななしさん
話をしよう。
突然だが、俺はしいたけが嫌いだ。
鼻にくるツンとした匂い、あれが刺激的で鼻腔が痛くなる。食べられなくはないが、無理して食べたいとは思わない。
しいたけの香りがいいという人もいるだろうが、失礼ながら俺には耐え難いのだ。
悪いが口に含んだ時のしいたけ独特の香りときたら、吐き気を催すほどだ。焼いたものならそこそこいけるが、他はほぼ無理だな。
まるで、なめこから滑りを中途半端に取り去ったような食感と、匂いがキツイ。
普通なら問題なく食べられるのだが、思い出すだけでも、あのなめこはダメだった。
だけど、マツタケなら大丈夫だ。
しいたけと同じじゃん、というような揶揄を貰ったこともあるが、マツタケの香りにはしいたけにあるような刺激がない。少なくとも俺にはそう感じられる。
食感も異なる。しいたけの汁物には、しいたけ特有の滑りがあるように感じられ、その滑りがさらに俺の苦手な香りを放つものだからやってられんが、マツタケなら平気なのだ。マツタケの汁物にもマツタケならではの滑りはあるかもしれないが、吐き気のこみ上げるほどの香りのある滑りではない。寧ろ、いい香りとも思える。
どうだね、長々と燻る思いを書いてはみたが、主さんはしいたけのことが好きか?嫌いか?
答えなくてもいいが、自分を好きになりたいというなら、些細な事から自分を出しながら、自分の事と、自分を出す事とを知りながらでも遅くないのではないかな。
正直、しいたけを好きな人にとってこういう話をするのは嫌なことかと思っている。
俺だったら、好きな何かの悪評を聞けば、少なくとも、心の中で顔をしかめるくらいはする。同時に仕方がないか、とも思うし、そこはそうじゃないだろう、と牙をむく気持ちも沸き上がる。
それでも、沸き上がる気持ち込みで、しいたけを語るというのが、主さんの言うぶつかり合うということだろうか。
因みに、恥ずかしいという事は、恥ではない。
それだって、自分を出している一形態に他ならないと思う。
人間、至らぬ点もあるので、知らぬは知らぬし傷付く時には傷付き、争いあい、啀み合いに繋がることもある。
それでも、せめて誰かが傷付かないよう、争いの火種にならないよう努める事ぐらいは出来るはずだし、失敗を失敗のままではいさせたくない気持ちもあるのではないだろうか。
やむを得ず傷付きあったその先に、幼い子供が奥底の気持ちを素直にぶつけ合った時のように、ある程度お互いを理解して、笑いあえる事もないとは言い切れないのではないか。
もし、人を傷付ける事を、自らが傷付く事を恐れているというなら、恐れていればいい。
けれども、傷付け傷付いても、その先がある。傷付いて終わりではない。だからこそ、それ以上傷付かないように足を踏み出すことも出来る。
足を出した先に出来てしまった擦り傷は仕方がないが、傷付く事は恐れても、何かに対して踏み出す事を恐れるなよ。…ただし、ダメな時はダメなので、訳もわからず踏み出し過ぎると何かを踏み抜いたり踏み潰したり、大怪我をしたりもあってボロボロになりやすくなる事もある、という点は、忘れないほうがいいと思う。
そういう意味で精一杯、休める時には休みつつ、やってみればいい。
自信の事に関してはよくわからないが、持っていなかろうと今回、変わりたい、と踏み出す事にだけ言えば、そこまで重要ではないのではないかな。