人は何かに依存しないと生きていけないこれは真理だ。
死ぬときだってそうだと思う。人がつくった環境に依存したいから飛び込み自殺がおこるという見方もある。人は依存せずにはいられない。
薬物、いじめ、性行為、リストカット、陰口、ギャンブル、ネット、これらも全部依存になりえる。
それが世間とズレていようが、自分が依存したければ依存する。
何に依存するかが重要なんだろうが、何に依存すればいいかわからなくなって不安定になるときがある。
何かに依存しないといけなくて、依存しないことへの依存はできない。
これでいいのか?不安なんです。不安だからまた依存先を探す。
ああでもないこうでもない、だったら次は、、もうずっとこんな状態です。
今のまま死んだら、きっと家族のことを思いながら死ぬと思う。自分は家族に依存したくないのに家族に依存している。
安全な場所に産んでくれた親、小さい頃から一緒に過ごしている家族、楽しく過ごした思い出、その全部に依存してしまっている、嫌なのに。
もともと家族のいない人から見ればワガママを言ってると思うかもしれませんが自分は自分の生涯に納得などできていない。
依存したくないものに頼ってる現状は不安定でしかない。だから依存先が必要なんです。
だから薬物やリスカにハマった人を変だとは思わないです。ただそういう手段にたどり着いたんだろうと思いました。
依存することは誰でもそうでしょ。
捕まった人を報道するとき、「この人間は依存症になるような弱いやつだ」と晒しあげているように見えた。
依存症になることは、誰しもがそうなんですよ。と言いたかった。
社会が強がっているだけなら僕は変えたいです。
名前のない小瓶
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ななしさん
気持ちが楽になりました
ななしさん
希望など物事の良い側面、言わば光に依存している人間はポジティブや楽観的になれて、絶望や悪い面といった闇に依存してしまう人はネガティブや悲観的になると思います。私は希望にも絶望にも何にも依存せず真実を見つめていきたいのですが、そのやり方がさっぱり分からずやはりどちらかに偏ってしまいます。そういった自己矛盾を抱えながら生きることは酷く苦しいですよね。
ななしさん
依存する対象自体が問題になることが多いように思うけれど、
「依存先(選択肢)が少ないこと」
の方が、より問題が多いって、どこかで見たことがあります。
支えが少ないと、そこにばかり荷重がかかってしまって、いつか丸ごとペシャッと潰れるリスクが増える。
潰れてからでは立て直すのが大変だし、別の新しい支えを探すところから始めないといけなくなるのも大変。
――確か、こんな感じ。
だから予め、支えを増やせるように、日頃から意識して探そう。
つまり、少しでも自分が楽しめることを見つけて、心の中に確保しながら、生活しよう。
……と、この説に触れて、私はそう思いました。
支えがないと人は生きていかれないけど、エスカレートすればそれは病になってしまう。塩梅は難しい。
何においても、過ぎれば毒ってことか、とも。
ななしさん
全ての人間は何かに依存していると思います。どんなに強い人間でも、必ず何かに依存しています。本人は認めないかもしれませんが。
私自身はまず1人で生きていくのは無理です。伴侶のいない生活はとても意味のないものに思い、伴侶の代わりにお酒を伴侶にするかもしれません。
昔から精神安定剤に依存しています。ネットで、薬の耐性や離脱症状の苦しさなどが良く取り上げられています。私もそれを見て怖くなり、何度か断薬をこころみましたが、断薬中の苦しさは半端ではなく、何故、どうせ死ぬ動物がそんなに辛い思いまでして断薬をするのかとても疑問を思っています。
薬で楽になるのならば、死ぬまで薬に依存してもいいのではないでしょうか。
ななしさん
つくづくそう思います。依存したくなくても、何かにすがって依存している。不条理と思いながらも、真理だと共感できます。。
ななしさん
いいなー、家族がいて。
あ、依存ね。問題が出てくる事柄への依存もあるけど、自分の幸せに依存すると良いと思うよ。幸せに依存しまくってどんどん幸せになっちゃってください。
名前のない小瓶
こんにちは。家族に依存していると考えるより、家族に支えてもらっているなど視点を考えると楽かもしれません。
麻薬でなく、お酒や精神安定剤を少量飲む。リスカしたいなら、運動を依存先の趣味にする。
自分を虐めたいなら、筋肉を虐めるつもりで運動してみませんか?
変える、という貴方の決心はとても素晴らしいです。
依存先をふやして、個々の負担を減らしてみませんか?
料理音楽漫画ゲーム映画、何でもいいです。お友達をふやしたり、旅行に行くのを依存先にしたり。
そうしたら、家族のことを考える時間が減ります。
貴方は多分、いま不安なんでしょう。
誰にもわからない気持ちはとてもお辛いと思います。
依存は悪くないです。たくさん依存を増やしたら、これは良い、これはダメ、と貴方の基準が見つかるかもしれません。
薬物に走る人も不安なのです。
誰かに訴えたい、何かがあるはずです。
誰かに相談できたら、してみませんか?家族に甘えるのは、私も恥ずかしいと思ってます。同じ立場かもしれません。
でも良いことでもあります。
視点を変えれば、悪いことではないです。幸せに生まれたこと、楽しい思い出を手放さず、他に楽しい思い出を作りませんか?
幸せは甘えではないと思います。
自立してみるのもいいかもしれません。
そんなに依存してる自分を責めず、
認めてあげてみてください。
自分はこんな家族を持てて幸せ、
そう思える日が来るといいですね。
ななしさん
何に依存するかは確かに自由ですが、傷つけてはいけません。
逮捕されるような人は、自分だけでなく誰かを傷つけたから逮捕されるのです。薬物は暴力団の資金源になったり、手に入れたいあまり犯罪の原因になったり、妊娠した場合子供に障害をおわせる危険があります。社会に不安を落とします。
それは弱さではありません。自分の為だけに社会に不安をばらまくのは卑劣と言います。非難されているのは卑劣さです。
リスカは薬物に比べ圧倒的に少ないですが非難はあります。その場合の非難はリスカそのものではありません。何時間も友達や恋人に愚痴の電話をしたり、無断欠勤をしたり傷を見せびらかしたり、そういうリスカに付随して現れる自分本位な行為に対してです。同じリスカ経験者でもそういう行為をしていない人には、立ち直りを支援しようとする友達や協力者が出てきたりします。
「ありのままでいい」「皆が皆、強い人ばかりではない」は、一見良き理解者のようですが違います。
弱い人を肯定する事は、その人が強さを得る機会を奪います。
リスカや薬物を心から喜んで、したくてしている人がどれだけいるのでしょうか?複雑な環境で出来た心の隙間にそれらが入り込んでしまっただけで、一生無縁でいたかった人の方が断然多いでしょう。
それならその人に必要なのは、嫌いな自分を肯定するのではなく、嫌いな自分をはね除ける為に一緒に戦ってくれる人ではないですか。
だから「この人はこういう手段だったんだな」より、「絶対にこんな手段を選ぶ人がいてはいけない」と思える人の方が、多くを救えると思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。