残酷だろうが、事実は事実だ。
一瞬前は過去なのだ。
例えば、
昨日、愛する人と「絆」を感じ、同じものを見た。
見え方は微妙に違えど
共感した、うれしかった。
明日も続けばいいと、いま、昨日を思い出し、
口の中に広がっていた
昨日の甘さを、吐息のごとく吐き出している。
バカが見た!
それは、昨日の記憶だ。
思い出すのはお前の勝手だが、それは、アルバムと同じ。
いま、この手元にはない!
今日は、今日の今しかないのだ。
改めての、結び直しなのだ。
お互いに。
だから、時々、いえいえ、よくあること、
片方の、気持ちが凧のようにどこかへ行ってしまう。
自然なことだ、罪悪ではない。
ゆらいで、必要と思うもの、ことが、変化して行く。
誰が悪いわけでもない。
生き物はそういうもんだ。
固定されている方が、脳は処理が楽チンだから好むようだけど
こころは、ふざけんな〜!と
暴れます。
どちらを選んで、どうなるか?
他人のことはわからないけど、自分のことなら少しわかる。
もしもしかめさん、もしもしでんわ。
わたし、いま、暴風雨の中、
でも、辿り着くべく岸辺は見えている。
ねぇ、間違ってはないよ、ルートが少し見えないだけで。
昨日、お天気はどう?と、母親に電話をして、
何となくの、近況報告から、なりゆきで
この話題を、ガッツリ話した。
「あんたのいうことはわかるけど、自分のどちらもに
マルをつける生活をするということは、
(へりくだることをしないことだから)
誰とも(いわゆる、ムラ人のこと)やっていけないよ。
ひとりぼっちになるよ」と、心配そうに言われた。
そんなもん、知っとるわ。
自分が変わる時は、人間関係変わるに決まってるし、
そういう人には、好かれんでもいい、と返した。
「その人」(ある種類の人達)は、
痰壷の痰を、飲んでいる。
清濁併せ飲んだ、バンジーありきの、強さを感じる。
甘くはない。
みな、ひとりひとりが、ひとりなのだ。
わたしに、できるだろうか?
やってるつもりの里の行。
要(かなめ)が、待ってる。
超えないと、ただ、時間だけ稼いで、寿命で終わりの人生。
冗談じゃない!
このわたしが!!!
「あのころ」をすがる人は、いまもう一度
「あのころの、良かった時間」「だけ」を、
いま、追体験したいだけ。
そんなもん、ねーよ。
絵でも描いてろ。
絵に描いた餅だ。
それは、食えねぇ。
紙だから。
餅が食いたきゃ、餅つきするなり、買ってきて
今、食う!
たまに休んだり、逃げてもいい。
それでも、どこかで覚えていてね。
覚え書きの記事。
(まさに、個人ワーク用)
こんな宛メの使い方をしてる人もいます*
じゆーじゆー!
じゆう連絡学習帳!