(にんげんかんけいのこびん)
まれちゃん、いまならおなじみ
よくあるはなし。
かみさま、おるよ。
どこにおる?
そとちゃう。
じぶんのなかかな?
宇宙みたい、コスモですわ。
はんたいがわに気づき出すと
反動で、ふるいやつが
ぐわっとでる。
それにやられて、
それが、痰壷の痰。
のむの、やだから
にげてまう。
まれちゃん、も、また、いま
それ、あってね。
すてきなひとにであうとね、
なかよくなりかけるとね
どえらいことになって、
くつのうらでふんづけられるくらい
どえらいことになってた。
こころが、こわれるひとは
これ、たいへん。
きらわれるのも、
はじ、ってかいしゃくしてるのも
じぶんなんだけど、
まぁ、いっぱんきじゅんからは
大いに逸脱するといわれることも
ふくまれるから
まれちゃんは、おんなのひとなら、
最低限こうでしょう!が、
よそのひとよりおそらく
やまのようにあるひとだから
それは、とってもかっこつけにんげんで
格好いい自分が、自分にはよく似合うのもあるけど
そのまえに
まれちゃんは、おんなのひとが
さいていげん、みんなもってるよと
いわれるものは
ただ、もっていたかっただけなのだ。
ほんと、そんだけなのだ。
たとえばまれちゃんは、おとこのひともすきで、
おとこのひとも、それもってないおんなのひとは
がっかりするだろうっておもうから
はじかかせることになるだろうっておもうから
きらわれてしまうとおもうから
もっていないじぶんを、いつもはじていたし
で、どうすりゃいいのかわからなくて、
陽の面だけかきあつめて
そのばをしのごうとしていた。
アルバイトの期間が、ちょっとがんばって
じぶんのなかでは、これでもながいほうで
(一か月だけど)
ついいつものやりかた
陽の面でいいかっこして、でも反対側あるから
途中で気づいて
さいしょは、どっちもまるつけてた。
でも、なかよくなると、得たもの捨てたくなくて
こわくなって
きらわれるのがこわくなって
また陽の面だけにまるつけはじめて
りょうほうにまる、・・・
ああ・・わたしどっちもつけていたからこそ、
なかよくなっていたんだった。
おなじしっぱい、でした。
またやってたんか。
まれちゃん、さっきおおきい、あすへのふあんと
かこのきょうふが
もりもり入道雲のようにあらわれて
しっかりかんじてたら、
とおいひ、だれかがいってた、だれだっけ?
もう、それはじぶんのうちがわから
にじみでてきたから
かんじるままのわたしのことばとして言おう
それがおおきけいればおおきいほど
はんたいがわもおおきいんです。
よくもわるくも。
こころのつらかったなぁのめんが
おおきければおおきいひとほど、
それをちゃんとかんじて
そのままのかたちで
まるをつけていくさぎょうは
そうでないひとよりは、たどりつくまでの
咀嚼回数が多い。
でも、ちゃんとじぶんのちにくになれば
そういうけいけんしてないひとより
(これは、ほんらい比較論の話じゃないんだけど、
単純な相対性としてみて)
ふところはでっかいさ、と。
ふわふわとおもいだして、
まれちゃん、重たい方にもまるつけたら、
かみさま、どこかにおるわっておもった。
どこにおる?からだのそとか?
ちがう、まれちゃんのなかだ。
りゅうしのようです。
かたちをもたない。
ああ、って、なみだ、にじんだ。
かみさま、まれちゃんにおおきなしれんのふりして
もたせるのは
まれちゃんを、おおきなにんげんとして
そだてたいからなんだなって。
あいじゃのう~
って、
まれちゃん、しぜんにそのいちれん、おもったよ。
まれちゃん、としくってる
ワンモアびじんだけど(古すぎる比喩)
ぼくじょうの、牛の世話してるひとみたいだよ。
みためとちがうけど
それ、が、まれちゃん。
ごめんね。
まれちゃん、きれいなかっこうをするのは
いまでも、しゅみだから、すきなの。
でもなかみは、こんなひと。
それが、おれ。
もう、ほんとのおれでいいよね。
びっくりしたら、おしっこもらすかもしれん。
もう、しょうがないよね。
いままで、つらかった。
いっぱい、つかれた。
もう、もう、いいよね。
もう、さげすまれてもいいや。
つれてあるいてはずかしいなら
いい。
すててください。
だって、どうにもなりようはないから。
わたしにとってみじめなのは
ほんとにみじめなのは
きっと、すててきたものをまたさらに
すてていくことだから。
そこに、にせもの
で
あなうめ
だれかのあい、もの、ひょうか
にせもの、もういい。
こわいもの、たくさんある。
それ、まれちゃん。
それ、まりちゃん。
それ、おれ。
わたし。
みんな、まる!