私は末っ子で、母から金銭的に「あんたが高校生までは離婚しない」と言われてました。
居間で喧嘩する声を部屋で聞いて一人で泣いていました。小学3年生くらいの時から薄々仲良くないのは気づいてました。
上の兄弟とも歳が離れていて、家族で一緒に過ごす時間は思春期ほとんどありませんでした。
自分が高3の時、姉と母、兄と父は仲が悪く、自分は唯一皆と話せるという板挟み状態でした。
家族では無口でいました。皆の愚痴を聞いて、私の愚痴は誰にも言えませんでした。
「自分がいるから離婚できないし金がかかる。自分がいなきゃ良かったんだ」と罪悪感を抱えて育ってきました。
そして大学浪人して、鬱状態になりました。
親は離婚ではなく、別居をしました。
なんとか大学には行けましたが、やはりお金が無いので、別居も止めて母は仕方なく戻って一緒に暮らしている感じです。
そしてまた罪悪感に苦しめられる。行かしてもらえる嬉しさよりも重いものがのしかかります。奨学金という借金もあります。
でも今は開き直っています。親が勝手に産んだんだから。
私は絶対家にいたくなかったので家を出ました。
そのおかげで今はほとんど家の事を考えなくなりました。
みるみる元気になりました。
今では前ほど親に対しての怒りはありません。
傷は消えませんが。
だからたまに帰省したり、メールをするくらいには仲は取り戻しました。
でも毎日は確実に無理です。
否定的でヒステリックになりやすい人と一緒にいると、誰しも心は病みます。
そして父は空気です。
子供よりも自分の心配してます。
悪い人ではありませんが、主体性がなく家事や家庭のことは何もしません。それが余計母を苦しめたのでしょう。
浪人中は今まで自分がいた家庭環境と他を比較して異常だとわかり、それまでの怒りがこみ上げてきました。
でも憎しみに囚われるのも辛かったです。
何回も話し合っても、母とはわかりあえないことがわかりました。
母も親に褒められてこないで、人に頼らないで生きてきた人でした。
だからもう、期待はしなくなりました。
これからもなるべく距離はとりたいです。
この傷もなくならないけど、自己肯定感は自分でなんとか補っています。
良い人たちに会えて、どんどん考え方も変わりました。
家族というのは本当に大事なものだと思います。
自分の人生を左右します。
でも、人のせいにし続けてたら、それでは私も母と同じ人になってしまいます。
だから、私は自分のために母を許しました。
親も一人の人間だと認め、頑張ってきたことは変わりないので感謝しています。
そうするとずっと楽になりました。
これからも自分と向き合って少しずつ取り戻していこうと思います。
本当に色々なことがありました。
まだ解決していない問題もあります。
ですが、心は前向きです。
まだまだ私の人生始まったばかりです。