インナーチャイルドワークをした。
セミナーにて。
あなたが理解して欲しかった人は
なにをあなたに言ってくれたのか
++++
きみはふたりの宝だと
父母は言った。
おとうさんもおかあさんも
それぞれが
自分のいのち、いきることに
誇りを持っている。
そんなふたりのあいだにうまれた
きみだから
きみだからこそ
わたしたちの
たからもの
澄み切った空に
たかいたかいをされた。
ふたりとも、あいはあったのだとおもう
ただ、出し方が
おかしかったのだ
ちいさいひとは
わかっていますよ。
+++
なんてのが、自分の中からでてきて
たまげた。
ゲタ(下駄)
仕事しながらなので
ちょっときついが
あしたは後半戦。
オチは見えない。
がんばれ!おれ。
45037通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
まりちゃんだけは、まりちゃんを取り巻く環境の人達と一緒になって、まりちゃんの事を追い詰めなかった。
とっても偉~い人!
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
ぬし)
あっ!岡田さんって
子宮委員長はるちゃんのパートナーのひとだったのか!
(今、知った)
そんだけ。
この方も、自由人。
ルールとブレーキと、妄信している社会通念に
ゆさぶりをかけてみると
(改めて自問自答)
だれでも、もともと持っているその人の資質が
表れてくるのだろうなぁと思った。
ま、わたし、昨日、
「きみはもしかして、イタい子かな〜?」
(子って、なんだよ・・おれ妙齢だぞ!ゾワッ・・)
って言われた。
でも、褒め言葉と受け取る。
その人、うれしそうだったので。
まぁ、そうだね、きっとそれでいいのかも。
みんな、味違うしね。
おわり〜
(補足なのでおへんじのおへんじはいらんよ)
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
ふゆさんへ)
さすが、俯瞰の人・・
まいど、ありがてぇ*
ざっくりいえば、肯定感です!
で、個人的補足をすると
わたし、2通目のお返事にも書いたんですが、
生まれてこのかた、
継続した安心感というものを、育った家族の中で
経験しないまま、今に至る人なのです。
つねに、いつか崩れる、
いつ崩れるかわからない、という、
砂上のボロい楼閣のうえが、わたしんちだったから。
安心してゴロゴロしてると、すぐ、ストーン!と
落とされる状況(家の中がね)の繰り返しで
書きながら思い出したけど、
中学の頃は特に、家にいるとき安心してると
「あ、ということは、次、悪いこと来るな」って
思うという、いや〜なスパイラルで暮らしていました。
共依存の機能不全家族だから
もう諦めていて、このメンバーから
健康な安心感というものを見いだすことは
不可能で、それが、このワークで見れた。
すくすく育ってる人は、
この感じの中で来てるんだなぁ、きっと。
喜怒哀楽込みのことね。
貧乏とか、ヤケクソとかあっても
その気持ちがある人は、戻って来れるって
わたし、思うんだわ〜
現在カオスの中にいるので、
毎日、ぐるぐるです。
いまおかね、すってんてんで
でも、とてもそれは、人生の必要経費だと思っています。
(これも、覚悟要りますね!)丹田にグッ!
おまえはいきていること、そのものが
しあわせ、という、ある意味普遍的なことが
どこまではらおちするか。
(理性でなく、自然に)
生きている間に、上書きできるといいなぁ。
(長いのでお返事不要です。また小瓶流します!)
冬
まりちゃん、成果はどうですか?
「言ってくれたか」の質問は相手から肯定感を引き出すための質問なのかなと思った次第。
心屋さんもイバヤさんも知りつつ、最近流れ辿り着いたのが岡田哲也さんというかなり「急先鋒」な人。ゲス夜会等でまりちゃん知ってるもね。
なんちゅーか、もう、踊れよっ!っていうよりはいはい、さっさと脱いでください、いや、脱げ。そんな感じ。
別にこの人に合わせる必要は全くなく、己のペースで生きればいいんだが、どいつもこいつも「なーにやってんの⁈楽しいことだけすりゃイィんだよ」の嵐。
そんな中、ハタと楽しいことが消えかかってる自分に気がついてちょっと苦しい3月だったよ。
木の芽時は変化がデカイ。まりちゃんは大丈夫?電気、じゃない、元気出して行こうね。ピカピカ。
まりちゃん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
ぎゃーん!ありぎゃとぅう
(ぬしです)
こびんに書いたことは、現実には起こっていないことです。
私が、感じたことです。
だけど、だからこそ、そうなんです。
正解なんです。
今まで、いろんな人が言っていたことを
なめていた・・というより
うちは機能不全家族で、代々、
愛がわからない人たちだらけだから
自分の代で終わらせるしかない、
親については、実際の親のすがたを
あれも人生の一種類・・という、受け止め方を
していました。
だから、もう、親は関係なくて
わたしのことは、私自身が向き合うことさという
シフトチェンジが常態でした。
家族の中でふるえるような不安定な気持ちが、
幼少時からの当たり前でした。
母親に一番最初に貼られたコンプレックスは
いまでもわたしの中でひっかかっていて
まさか、これなのだろか?と
半信半疑でたぐり寄せてみたら、
小瓶の内容が出てきました。
私のあれがつらいこれがつらいは
すべて、突き詰めていくと
(以前からひとりで、書き出してみたりしても)
私は、生きていいのか?
存在していていい人間なのか?に
どうしても行き着いてしまい、
それは、自己否定、自己需要が出来ていないというのが
原因というとこまでは、年末から今の間に
何となく気づいたのですが、
定期的に、やはり、そのループにはまり、
昨日も、それを自分の口から言った瞬間
嗚咽というより、慟哭でした。
あ、長過ぎた。
また、別小瓶でかくね。
なんかしらんけど
こころのこもった応援を頂いているのだけは
ようわかります。
ほんとうに、うれしいきもちです。
ほんとうに、ありがとうね*
うれしいです。
ななしさん
頑張れ!マリちゃん。
乗りきれマリちゃん!
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。