日記的備忘録
よろしくない考えと分かってはいるのだが
例えば自分が好いている人や、別の意味で大好きな友人が、自分の死で苦しむのならば
それはそれで満足だなぁと、考えるようになった
まぁその顔は見れないわけだが
では、自分がその友人たちの立場になったらどうなるかというと
死なれたら個人的に困るので多分止めるだろう
結局のところ、生きてくれ、とは
苦しみに耐えてくれということなのかもしれない
身勝手な考えだ
自分が知り合いに願うとしたら
出来るだけ苦しまずに生きてくれというところか
自分に出来ることはあまりないのだけど
あとは、そうだ
よい、漢字をあてるなら善い人たちなので
そんな悲惨な結末を迎えるのは不条理じゃないか、とも思う
自分のことは別にいい
もう良くない感情しか湧かないので
*
あの人は大丈夫だろうか
一瞬、不穏な言葉をぼそっと呟いていたけど
告白してしまったので、もう手助けもし辛くなってしまった
*
何となく、どこか麻痺し始めている
自覚があるだけまだまだマシだろうか
他人の感情、心情に気を遣うことは、あまりなくなった
内心無駄な事だと思っていたのかもしれない
面白いことに
人間て結構変わるんだ
時間をかけて、ゆっくりと、間違いだと分かりきっている結論を導き出そうとする
無駄なアプリケーションを削除するように
無駄となった価値観は削ぎ落とされていく
どうやら容量が足りなくなってきたらしい
また、どうでもいい事を書いてしまった
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まず、自分が自分に
ご自愛下さい、ありきです。
他人のことは、それからでも遅くはない。
他人も自分も、自尊心持って生まれてきています。
環境や、育つ過程で、忘れていたり、深く心の底で
沈み込んでいるから
見たことないと思い込んでるだけ。
だから、ほんとは、だれだって、自然治癒の力を持っている。
もうひとつの小瓶も読んだけど、
私はまず、こっちありきだと思うもんで。
つれづれ。
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