友達が妊娠しています。
私は子供が嫌いで友達間でそのことは公言してきましたが、素直に友達が幸せになって嬉しいしとても喜ばしいです。
それは絶対に嘘でも虚勢でもないです。
でもふと、ああ後何ヶ月か後に彼女は出産という大きな体験をするんだ
今はお腹が大きい彼女、として見れるけれど、それがもうすぐ彼女ともう一人、になるんだ
と思うと、なんだかもう二度と自分なんかが共感したり出来ない、遠い存在に思えてさみしいような…さみしいとは全然違うような…なんとも言えない感情になります。
こうして書いていて気付いたのですが、多分それは彼女と私の関係どうこう、というより現状の自分に対する気持ちのような気がします。
自分だけ進めていないような、立ち止まってしまった。という気持ち
未だにフリーターで、分かりあう人もいない、何にも必要とされない自分、何かに一生懸命になることも成長することもない自分。
さみしいんじゃなくて虚しいだけかもしれません。
こんな自分が虚しくて、勝手に取り残された気になったのかもしれないです。
みんなみんな眩しい。
私は何て恥ずかしい人間になってしまったんだろう。
どんどん卑屈になる。クズになる。
もう自分でもどうしたらいいのか分からない
どうしたいのかも分からない
親でさえ私のこういう暗い話はうんざりのようで、もう誰にも話す人がいないので小瓶にしました。
吐き出さなければどんどんエスカレートしていきそうで怖くて、文章を考えずに打ったので支離滅裂ですみません。
名前のない小瓶
45746通目の宛名のないメール
お返事が届いています
まりちゃん
自分がしたいことを探して、
そこへ飛び込むこと自体がこわいのかな?
友達が輝いて見えるのだとしたら、
どんな気持ちでやっているのかは解らないけど
それを幾度も重ねながらやってきて、
今があって、引きで見ると輝いて見えるだけなのかもしれない。
意外と、本人は目の前のことをコツコツだったり
地味に真摯だったりだけかもしれない。
主さんからはお返事が来てるので
完結しているので、お返事のお返事は
・・と思ったのですが
他の方々のお返事や、主さんのお返事を読んで
ふと、思ったので追記しました。
でもやっぱり、自分がしたいこと・・に
心が開くには、
冬さんじゃないけど、まず、卑屈とクズの反対側にあるもの
は、なんなのか?(それはみな違うと思う)
そこから行った方が早いのかもって、
自問自答しながら思いました。
どうもありがとう!
(ちなみにわたしは「等倍」と出ました!)
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。みなさんお返事ありがとうございました。
自分の中に何もないような感覚、というのは常にあって、何もかも足りないような感じ、全部を落として来てしまったような、全部に置き去りにされたような。
妊娠した彼女を見て、憧れもしなかったし羨ましいとも思わなかった。ただ、着実に未来への階段に足をかけていく彼女が眩しくて、そしてそれを何てことはない自然な喜びとして受け入れている彼女が遠くて、自分の今までの人生には何もないような感覚に陥って切なかった。
自分の人生には何も存在しないこと、私はこれからもこうやって生きていくのかって。
物事を重く考えすぎなのは分かっているんですけどね。
でも、こうして普段なら誰にも受け入れてもらえない、まるで存在しなかったみたいな気持ちが、宛メのおかげで誰かに知ってもらえて存在することが出来て、それだけで私はこの小瓶を流してよかったと思えました。
私のこんな気持ちに返事を送ってくださる方がいたことが嬉しいです。
読んでくれてありがとうございました。
ななしさん
あなたのしたいことをするのがいいと思う。
あと宛メは、こういう小瓶のためにこそある場所だと思うので、どんどん流して頭の整理につかうのがいいと思う。
冬
主さん、すごいです。
ご自分の虚しさにお気づきになったんですね。人はどうしても外に目が向いてあの人はああだから羨ましいとか、あの人のせいで私は損をしているというふうになりがちなのに。
主さんの考える卑屈とかクズの反対の価値観はなんですか?
その反対の価値観が主さんの欲しいものですよ。どうしたいのかはご自分が否定している価値観の中にあります。
そしてそのためにはほんの少しでも興味あることに時間やお金を投入することです。
大成したら、事が成ったら、幸せになるのではないですよ。
それに関わっている時が人の幸せだと思います。虚しさにお気づきになった今この時がチャンスです。ご友人と赤ちゃんの幸せを願える主さんですから、どうぞご自分の幸せを願い、叶えて下さい。
まりちゃん
理解出来ます。
わたしは、子供は嫌いではないので
(すきー!というのは少し、うそがある)
あ、子供=ともだちと見ているのか・・
そこは主さんと違いますが、
お友達の件で、自分を振り返った時
手応えというか、手の中になにもないような
気がしているのでしょうかね?
結構、心理的に、キツい時期なのかなぁと
その頃の自分を重ねて、思って見ることしか出来ませんが
きつかろうなぁとは思いました。
(わたし、20代後半〜30代前半この感じでした)
いま思えば、我が事しか書き様がないけど
虚しいとか、取り残された、とかそういう気持ち、
無きものとして、排除したいと言う思いが強すぎたから
余計肥大化していったのかもしれません。
それも、自分を形作るひとつの要素だしって、
げー、いびつ〜〜!って、いいながら
これ、わたし!って、きっと言えるようになった時
今のサングラス、ポロッと取れてるかもしれないですね。
支離滅裂じゃないですよ、またここで会えたら
よろしく哀愁!
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。