私の大好きな人たちは総じてハイスペックと言われるような人たちだ。
頭も良い、勉強だけではなく考える力のある人たち。行動力も表現力も私が彼らに勝てる能力なんて何一つないくらい優れた人たち。
彼らが前に進む度に私はどうしようもない劣等感に苛まれる。彼らの横に並びたい。そう思うのに体は動かない。一歩が踏み出せない。
頭では分かってるんだ。彼らの横に並びたいなら自分も努力をしなきゃいけない。じたばた足掻いて少しでも前に進まなきゃいけない。そう思えば思うほど体は動かなくなっていく。何かに絡め取られて締まったみたいに身動きが取れなくなる。
でも、こんな駄目な私を彼らは評価してくれる。こんな私のいい所を教えてくれる。その度私は劣等感の海に沈んでゆく。彼らが大好きなのに、尊敬しているのに、そうなりたいのに、彼らのことが嫌いになりそうで。こんな自分が大嫌いだ。
厳しい言葉を下さい。そして私を引っ張り上げてください。そんな事を思う私はやっぱり甘えてるのでしょう。
ななしさん
貴方が羨ましい、ハイスペックと呼ばれる人の基準は人それぞれだろうけど、私は尊敬出来るような人が身近にいる貴方が羨ましい。
尊敬している人はいる。けれどその人と会う機会はないし、そもそも私が尊敬している事には気付いていない。
生徒には舐められず、時に厳しくて、意外と感傷的で感動屋だった。英語教師じゃ無いのに語学も堪能で(英語以外の)、秘密の経歴、変わった物を持っていて謎に包まれていたような人だった。他の先生とは何か始めから雰囲気が違っていた。こんな人に出会えた私は運が良かったのだろう、辛い事があった時には必ずその人の顔がふと出てくる。と同時に「これぐらい出来なくてどうする」と前向きに考えられるようになった。
密かに尊敬出来る人がいるって、大事な事だなと思った。