私にとっての一番幸せは、家庭を築くことだとずっと以前に思い至って、今でもそう思う。切っても切れない関係、私を特別な存在として見てくれる関係、何があっても信頼して裏切らないような存在を私は欲しがってる。お互いがお互いを思いやれる関係を築きたい。
私は他人を信じられない。どこかで私を裏切ったり、苦しめたりするという思い込みがあるからだと思う。だから私は、私が傷つかないように親しくなることを避けるのかなと思う。親しくなければ、傷つけられても傷は浅くてすむ。親しくなればなるほど、傷つきは深くなる。他人の様子を伺い謙虚に振る舞うのは、私が傷つきたくないからだ。異常なほど他人のご機嫌伺いをしていた時期もあって、キリがなくて精神がすり減っていってしんどかった。親しくなれば、または好きになればなるほどその人への依存性、自分の行動のストーカー的異常性が引き出てくる。それは、私にとっても相手にとっても良くないこと。自分の行動を気持ちが優先してコントロールできなくなることが怖い。だから、私は他人と親しくなることや好きになることを避けないといけないと思う。
私は幸せになってはいけないと思っている。過去の私のした行いの清算をしないといけない、そのためには私は不幸でなければいけない。自分が上手くいったり幸せに感じていることに違和感を感じる。そして、この幸せは長くは続かずに壊れることを何処かで確信しているか、強く願っている。
私の行動は、客観的な信頼できる専門知識に基づくことで成り立っている(あくまで私自身が納得できた知識)。私の気持ちや経験というものを土台に行動すると、上手くいかないという考えが経験上ある。私は私を信用していない。他人も信用していない。信用しているのは、客観性に富む信頼できる専門知識だけ。
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。
●1通目の方
お返事ありがとうございます○
お互いがお互いを思いやって、支え合える関係が大切ですよね。
思いやりがなければ、どんどん気づかいなく依存していったり、どちらかが潰れてしまうだろうなと思います。逆に気づかうばかりもお互いが辛くなるので、距離感って難しいです・・・。
そういう気持ちのコントロールは、親しくなるほど難しくなるものなのかなと思ったりします。私はてんで駄目みたいです。
私にとって一番良い距離感を保てたらいいなって思います、そのためには自分の思いも言わないといけないので、頑張ろうと思います。
●2通目の方
お返事ありがとうございます○
そうですね、「私は信じなくても私を信じ続けてくれる人」を求めてるような気もします。一種の「どんなに私が信用しなくても相手が私を信じつづけてくれるか」の試し行動を行っているのかなと思ったりです。結局、言っていただいた通り、どんなに親しくしてくれても私が信用することはなくて(親しくなることで傷つきが大きくなることが怖くて、今のうちに壊したいと思っている、壊れることに慣れてしまって「壊れることでやっぱり信用できない」と思えることで安心したい)、私から突き放して相手と距離が出来ていくことになります。
カウンセリングは受けているのですが、特別な空間ですよねあそこは。カウンセラーの方は仕事上、守秘義務を負っている安心感からか結構遠慮なくペラペラ自分のことを話してたりします。でも、信頼してるかというとまた違うような気がします。聞いてくれる機械みたいな感覚です。
以前に私のことを包み隠さず話した人はいたのですが、知ってもらったことが何故か怖くなって自分から距離をとってしまいました。親しくなることで、裏切られたときの傷つきが大きくなるのが怖かったんだと思います。私は人はどこかで裏切るもので、裏切られて傷つきたく無いから親しくなるのが怖いのだと思います。
現実、「無条件でどんなことをしても私を信じつづけてくれる人」などいないと分かっているんですけどね。私自身が、信じることをしていけたらいいなって思います。きっと何かきっかけがあれば出来てくるのかなと思います。そのきっかけを手に入れるために、人との関わりは絶たないようにしたいなと思います、これが今の私に出来ることだと思いたいです。