最近は小瓶を流そうと思っては、
突然罪悪感やら無意味だと
思うやらで中々流せなかった。
今日(2016/06/22)は勇気を出して
流そうと思う。
今日『嫌われる勇気』を読了した。
それも絡めようと思う。
今も変わらず戸惑っている。
悔いの無い生き方をしたいのに
分からない。
やり方或いは生き方が。
もしくはアドラー心理学に触れて
怖気づいたのだろう。
僕も勇気を出して、いま、ここの
刹那を生きて行くことができるのか、
怖くて仕方がない。
真剣にいま、ここを生きているとは
お世辞にも言えないから。
怖い。
でも悔しい。
自分の人生を意味づけできるのは
他ならぬ自分だと自分なりに
たどり着いたのに、僕はそれを
逃げる免罪符に使うばかりで
勇気とは間逆にいま、ここと
ほざくばかりで流されていきて
きているからだ。
こんな僕にもいま、ここで真剣に
生きていけるだろうか。
いま、ここ。
自分を生きるんだと強がった自分が
いま、ここに居ない。
臆病な僕が膝を笑わせて
怯えているだけだ。
こんな僕にも自分を、
いま、ここで生きていけるだろうか。
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過去にすがることも未来への不安もすべて頭の中の出来事。今をこの瞬間だけが私達の真実、らしいですよ。私も知識としてはわかりますが、実感としてはわかっていない気がしています。
真剣に今を生きるというのはしかめ面をして行進する生き方ではなく、実は笑って喜んで軽やかに跳ねるように生きることを言っているのではないかと思ったりしています。
喜びや純粋な驚きのため、自分を生きるために、そこへ飛び込む勇気を持ったらどうですか?とアドラーは言ってるのではないかと思います。
そのために反省とか罪の意識とか持つ必要が無いことはそうだろうなと思います。
良い自分(自分が認められる自分)はより悪い自分を消し去ることではなく既に今この瞬間、不完全なこの自分が活かされている(生かされている)と感じることでオッケーなのではないでしょうか。あなたも、私も。
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