わたしの人生はわたしが主役。
気付いてしまったから、うわーっとなる。脇役でよかったのになあって。
ドラマの中の主人公みたいじゃなくていい。片想いをして結局振られて、主人公がやっとつかんだ幸せを喜んでいる裏で、こっそり悲しむ脇役みたいな。
放送もされないところでかなしむ脇役でよかった。
主役は向かなかった。だってぜんぶ受け止める勇気はないもんね。
現状に不満がないふりをして、脇役だって言い訳して、でも脇役だから誰かを引き立てられてるんだって満足したかった。
不自由だ!って思いたかったね。
自由は残酷。弱い部分も足りない部分も、嫌というほど突きつけられる。見たくなかったね。
自分の中の二面性にずっとついて行けなくて、でもいつか向き合わなくちゃ!とおもってて、ついにその時期なのかな。
しかってもらうことと赦してもらうこと、ぜんぶ他人に任せていたけど、違うね。
それは本来、自分で終わらせることだった。それも、もうひとりの自分じゃなくて、ふたりが一緒になってわたしだった。
綺麗なところだけ外に出ればよかったのに、汚いところは中で消化されて、もうひとりの自分だけに嫌われていればよかったのに。
結局誰かと関わりたいから、ひとりきりで生きていたくなくて、いろんな人に関わって傷つきたいから、向き合うべき時なのかもしれない。
進んでいるどころか後ろに戻っていく感覚。脱出ゲームみたいに答えがあればいいのにな。