対人恐怖症、視線恐怖症です。
大学の講義などで前のほうに座ると、後ろから見られている感じがしたり、ひそひそ声が私の事を悪く言っているんじゃないかと考えてしまったりするので
後ろの席に座るようにしています。
ですが、教授に当てられて発言をする時、後ろを振り返ってじぃーっと見てくる人がいます
チラ、と見て前に視線を戻す人はまだ大丈夫なのですが
教授と話している間視線をそらさず、じーっと、私を、振り返ってまで見てくる人がとても怖いです。
ただでさえ、人が沢山いる所で教授と一対一で話す時は声が震えたり、変な汗が出たりするのに
よくわからない視線を向けられると、流石に泣きそうになります。
普段の「見られている感じ」は、私の気にししすぎだ、実際そんなに見てない!と言い聞かせることで大分改善したのですが
振り返ってまでじーっと見られると、流石にどうしようもなく、つらいです。
なんでそこまでして見るのかなぁ、と思います。
被害妄想なのですが(わかってても考えてしまいます)
やっぱり私が声が震えたりするのが原因なのかな、とか
その後、その人が誰かに「今日の講義でキモい奴がいて~」と言ったり、ネット上に書き込んだりされてるんじゃないかと
考えてしまいます。
こう考えてしまうのは理由があって
以前大学の先輩に失礼をしてしまって、謝罪したのですが
その後その先輩のTwitterで、散々悪口を書かれていたと知り、それがトラウマになってしまいました。
人に見られるのを最近克服してきた感じはあったのですが
今日の事で一気に引き戻された気がしてつらいです。
どうして、後ろを振り返ってじーっと見るんでしょうか
やっぱり私がクズで駄目なやつで、気持ち悪いからでしょうか
さっき講義を途中退出して、今家に逃げて、一時間くらい泣いてます。
本当に情けないです。
名前のない小瓶
46678通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
視線が恐い、というお気持ち、よくわかります。
私もそうでしたから。
人に見られると何か悪いように思われる、と言う考えが、染み着いてしまっているのではないでしょうか。
実際は、相手がどう思っているかなんて、わかりませんよね。
でも、恐い気持ちは確かにそこにあるんです。
では、どうやったら恐くなくなるのか。
ご自分を見た人は、悪く思っているかもしれない、でも、悪く思っていないかもしれない。なんとも思っていないかもしれない。
そこから、例えどう思われても、これが私。この私でいいんだ。このままの私でいいんだ。と思ってみてはどうでしょうか?
恐さの根本が悪く思われることへの恐怖なら、悪く思われてもいいと思えるようになると、恐さが少し和らぐかもしれません。
そのためには、過去にあっ辛い気持ちを抱えたご自分を「よしよし、いやだったね、辛かったね。」と包み込んで慰めてあげてください。自分自身を、ぬいぐるみに例えてみるとやり易いかもしれません。
あなたはあなたでいいんだよ、失敗は誰にでもあるよ、とそのままのご自分にOKを出すことができたら、少し気持ちが楽になるかもしれませんよ。
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
レスが遅くなってしまい申し訳ありません。思っていたより多くお返事を頂いて驚くとともに、感謝しています。軽くですがお返事をさせてください。
1通目様
気にしないのが一番だとは思うのですが「見られている!」と認識し緊張に陥ると、立ち直るのに時間がかかるので、1通目様のお返事で、せめてマイナスからの立ち上がりを早くしないといけないなぁと気付きました。ありがとうございます。
2通目様
実は私も聴覚に問題がありまして(片耳難聴なのです)向きを調整しないと聞きづらいときがありますが、体の向きを変える程度なので、口を見るという発想がありませんでした。教えてくださってありがとうございます。
「人の目を見て聞く」というのは私も教わりましたが、「自分に対して話しかけている・語りかけている人」と解釈しています。なので、対話している人以外の第三者に見られるのは少々不本意でした。
3通目様
ありがとうございます。お返事を読んで、頑張らないとと感じました。
私の場合自己評価が低く、加えてそこから完璧主義な思想に至り、自分を追い詰めた結果対人恐怖症を発症してしまったので、3通目様の思考はよくわかるのですが、苦しく思う部分もあるのです。
でも、今を乗り越えないと何も変わらないので頑張り時かなぁと思います。
4通目様
お返事ありがとうございます。
お返事と話が逸れてしまうのですが、私も自分を客観的に観れていないから、対人恐怖や視線が怖かったりするのかなぁ…と。
相手がどう思っているか、と考える前に、認識した視線は私に恐怖として突き刺さります。そこから色々マイナスな思考が派生していくのですが、このとき明らかに客観的な思考は欠いてしまっているので…。
ななしさん
いや他人のいう事って言っても悪口が正しいとか、おかしくない ってのは違う。
「他人の意見云々、客観的に自分を見たら他人からはこう写るんだよ。」ってさ、そんな事、自分の知ったこっちゃないよね。
勝手に他人を見て悪口言ってくる人とか裏で悪口言ってるような人は自分が偉いとでも勘違いしてるのかな?悪口を言う時点で悪口の対象としている人を気にしすぎじゃない?悪口言われてる側なんて、悪口を馬鹿みたいに言ってる人達の事なんてそもそも眼中にすらないんだよ。それすら分かってなくて、ひたすら悪口を言ってる人の愚かさに、ただただ驚かされる。人の事見る余裕なんて無いでしょう。まずは己を客観的に見なさいよと毎度思う。
ななしさん
自分のこと他人にどう写るか分かってる?
俺には全然分からない。
だからこそ情報は大事。
たとえ、悪口であってもね。
その人にはそう写ったんだと教えてくれる。
自分を向上させていくには、どんな情報もありがたいもの。俺って正真正銘のダメ人間だからね。
情けない話、こんなクズ人間でも他人にはよく写りたいんだよ。
カッコイイとかじゃなく、同じ時間を共生してる人として。
俺も生きてるぞー!みたいな(笑)
確実に進むためには怯える・疑うことも必要な要素かと思います。
きっと貴方は目の前が真っ暗闇でどうしたらよいのか分からず怯えて呆然と立ちすくんでいるのではないでしょうか。
皆そうなんです。その暗闇からちょっとだけ脚を出してみたり、手探りで探してみたりして恐る恐る空間を把握しようと試みてるのです。
さぁ!一緒に365歩のマーチを歌いましょ!
ちと古すぎて分かんないか…(笑)
ななしさん
わたしはじっと見てしまう人です。
耳があまりいいわけでないので、話している人の口元をみて話をきいています。そのほうが理解しやすいです。話してる人の方をみて話を聞かないといけない、と育てられた影響もあるかもしれません。
大学の講義でも振り返って話を聞いているときが多いです。でもそういうふうにとらえられるんだなってことがわかったので気をつけます。
ななしさん
後ろを振り返ってまで長く見てくるような人が異様ですよ。なんだろうね、ただ凝視出来るという人は育ちがあまりよろしくないんでしょうね。理由がどうであれ凝視するのは失礼な行為に値しますから。気持ち悪いと思う人の事はあまり長くは見ないと思うけどねー。あなたの事が良い意味でか気になってるんじゃないですかね。私の学校にもいますよ、人の事を凝視しているような人が。あの人達は何がしたいんでしょうかね。無視で良いんじゃないですかね 、行動も向こう次第って事で。関わらなきゃ良いだけですから。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。