大きな幸せを手にすると、どうしても執着してしまう。
その幸せを失ってしまうことが恐ろしくて仕方ない。
幸せな気持ちで満たされている一方で、この幸せがいつまでも続かないことも感覚的に分かっている。
そのため幸せが1日でも長く続くように足掻く。
終わりに怯えながら。
幸せなのは確か。
でも、心の身動きが取れていない。
これこそが執着心の為せる技。
だから、視点を変えた。
自分が欲し、自分が手にするから執着する。
なので、他の誰かに持ってもらい共有する視点に変えた。
明らかに心が軽くなった。
幸せがもたらす光が大きければ大きいほど、その光しか見えなくなることが分かった。
視野を広げれば他にもたくさん光は存在する。
このことに気づいたおかげで執着心はかなり薄れた。
47531通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ベル
(小瓶主)
8通目の方へ
小瓶を拾っていただけているだけでも嬉しいのに、こうしてお気持ちまで伝えていただけたら嬉しすぎて感謝の気持ちでいっぱいです。
僕もあなたのお返事から温かい光をたくさん感じました。
人と幸せをシェアしていけたら良いなと思って流した小瓶なので、今まさにあなたと幸せをシェアできたことがとても嬉しいです。
「わきあがるよろこびもせつなさもそのままにそれを感じられる今にひたる」
素敵な言葉ですね。
最近になってやっとこれができるようになってきたので心に響きます。
「何よりもここでこうしてることが奇跡だと思うんだ」
という感覚、僕もシェアさせていただきました。
言葉を通して気持ちをシェアすることの喜びを実感できてとても幸せです。
言葉が持つ力、あなたのお返事からこのことを感じています。
気持ちを伝え、シェアする喜び。
今のこの瞬間を噛みしめています。
僕もまた気持ちを伝えてみますね。
ベル
(小瓶主)
烏羽さんへ
僕のクセについてお返事くれてありがとう。
以前の僕は自分が見えてなかった。
自分の考え以外には関心がないっていう感覚がなかったし、自分が正しいと思ってる時は人の考えを否定しているという感覚もなかった。
自分の考え以外には聞く耳を持っていなかった。
今まで自分が目を向けてこなかった部分にやっと目が向けられるようになって、自分のこういうところが見えてきた。
烏羽さんが言うように、じゃあどうしようかっていうところを考えることができるようになって来たんだ。
経験値のお話凄く実感してる。
子供の頃は何の経験値もなかったから嫌なことや辛いことからは、いつも目を背けてきた。
自分の中にそういった負の感覚が流れ込んできても対処の仕方がわからないから極端に拒絶していた。
大人になっても、それが辛いこと、嫌なことへの僕の対処法になっていた。
でも、今は自分の中に負の感覚が流れ込んできても、きちんと受け入れて対処できることがわかった。
この部分が僕にとっての経験値なんだと思う。
この感覚が凄く嬉しいんだ。
嫌なことから目を背けなくても良いと知った喜び。
嫌なこと、辛いこと、でもそこに財宝が隠されているようなワクワク感。
辛すぎて一人で立てなくなったら周りを見れば良い。
周りに何もないと感じても、自分に見えない何かは確かにあると思える感覚。
視野を広げることを意識してから自分の中でたくさんの感覚が感じられるようになった。
経験値という言葉凄く響いたよ。
ありがとう。
ななしさん
ベルさんの視点、透明でやさしくて
なんか、すきです。
その光のシェア小瓶も、気がむいたらみてみたいな!
と思ったけど
この小瓶から、なんか透明できれいな光がもれてたわ~
勝手に光のおすそわけもらいました
ありがとう。
なーんも考えず
わきあがるよろこびもせつなさもそのままに
それを感じられる今にひたりながら
涙でも流しながら
今の心のあたたかさを感じるのも
心地いいのかなあ
「何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ 」
(by イエモン 「alright!」)
SMAPとイエモンのコラボの動画見た。
長い時を経てぶ厚くなって再集結した男達と、
苦しみながらもこれから自由に羽ばたこうとする男達。
タイムラインが交差して、循環を感じた。
何が言いたいのかわからなくなってきたけど
今のベルさんがしあわせで、うれしいです。
烏羽
んーにゃ?
まあ、少し「クセがついてしまっている」って所に自分なりに感じたところがあったんで書かせて貰いたいんだけど、もうそのクセに悩む必要はあまりないんじゃないかなあと思うのでさぁ。
(もうわかってたらごめんねー)
クセに困った経験から今、そこに1つのフォーカスが当たっていて、そこから物事を考えてるんでしょ?
ベルさんの今はもう、クセに困った、っていう経験があって、悔しさなんかも学んだんだし、悩んで考えて、出来る事をしている。
そんな感じに、出来る事をしようと踏み出した時点から、前とはもう違うんじゃないかな。
(クセのせいで関心が持てなかったりしたのかと考えると、ベルさん的にはそうかもしれないけれども、俺的にはクセとか何のせいとか、特に関係ない場合もあるとも思うし)
向上しようとするのはいい事だとしても、もう自分の考え以外に興味がない訳じゃないじゃない?
文面からだけだけど、俺の考えを否定(というかベルさん的には拒絶か?)してる訳でもないでしょ?
もうクセがあるかどうかも、正直昔とは違うから、どうだかわからんもんかと思っちゃってな。
(因みに個人的には否定自体が悪い訳ではないと思ってる)
あと俺も自分の中で、納得は色んな事において優先されると思うぞ。(ジョジョか)
ベルさんの言う結論の部分を理屈って言葉に置き換えると俺もそういう気のすまなさがある時はあるから、似たような気持ちはわかる気がする。
ただ、やっぱり知らない事は知らないし、現時点でフォーカスが当たってない事に関しては、気にすることも難しいし、わからん訳だ。
わからんのなら別に態々汲み取ろうとしてくれんでも構わんのよ?
したいならそれもまたいいと思うけど、考えるのは気になった(or重なった)事だけでもいいんじゃないかと思うしさあ。
結論を出すためには、その人の体感したような、自分自身の色んな経験値みたいな材料がないと判断出来ない言葉もあるっしょ。
人はそれぞれだから違う価値観もあるだろうし、気になったそん時でええねんって。
んじゃ、そういう事で。
ベル
(小瓶主)
烏羽さんへ
お返事ありがとう。
同じ言葉でも受け取り方は人それぞれだね。
礼儀についてもそう思ってて、一言で礼儀と言っても、皆礼儀に対する考え方は違っていたりする。
違うからこそ、礼儀を求められた時にズレが生じたりするんだなって思った。
おそらく、誰もが納得できる答えはないんだと思う。
だから烏羽さんの礼儀の小瓶ではあれ以上お返事を返す必要がないと思ったんだ。
僕は何かを考える時、いつも結論を出さないと気がすまないんだ。
それがあってるかどうかはわからない。
でも考えて結論を出して、それが本当に自分に合うものなのかを確認する。
そのクセがついてしまっているから自分の考え以外には関心を持たなかったり、悪い時には、自分とは合わない考えを否定したりしていた。
今回の烏羽さんのお返事も自分の考えと重なる部分はすぐ入ってくるけど重ならない部分はなかなか入って来なくて、でも時間が経つと「あの言葉はこういう意味だったんだ!」って気づくことがあって何度も読み返してる。
「息苦しさから解放されようとすることもある種の逃げ」
言われてみれば確かにそうだと思った。
それが逃げであれ問題を解決するための手段であれ、そこから何かを得られれば良いかなって思ってる。
烏羽さんのお返事もまだよく読み取れていない部分もあるけど、少しずつ時間をかけて考えていきたいな。
良かったらまたお話聞かせてね。
烏羽
冷静な分析か…へへへ、そうかね?
おうむ返しみたいになるけれど、ベルさんも自分を冷静に振り返ろうとして、分析してる訳っしょ?
礼儀の奴にベルさんがコメントしてくれた事へ反してしまうようで申し訳ないんだけど…
多分、基本的に俺は誰の味方でも誰の敵でもないスタンスからものを言って来た気がするんで、ベルさんがどう感じるか考え切れてない言葉が幾つかあると思う。
嫌な事を感じ取ってしまう事もあるかな、と自分で読み返してみて思ったんで、その上でここから先を読んで欲しいかな。
で、話は戻りますぜ。
一面としては誰かと比べると小さく感じる事があるかもしれないけれどね、「ない」と感じる事自体、実はない訳ではないんじゃないかと思うのさ。
幸せと不幸のように、相対的なものは、見渡してみると意外と多いような気がするから、不思議といつの間にか、無意識の内に色んなものを比べて考えている事は、誰しも多くあるんじゃないかと思う。(いい悪いじゃなくてね)
自分と相容れない価値観。
俺も、それを認識した時拒絶する事は多かったし、程度は違うだろうけれど、後からそれを知った時に自分の価値観が狭く感じた事はあったと思う。
それを今振り返ってみると、その狭さを感じた事自体、もう自分の価値観が広がっていたから感じた事だと思うんだよね。
(だからベルさんは、嫌いな事も受け入れられるようになったと言っていたのかと思います)
うーんと…なんていうか根掘り葉掘り言うのも悪い気はするんだけどね…
息苦しさから解放されようとするのもある種の逃げる事だし、目を反らす(距離を開ける)事でもあるからそれも良いものに繋がるというか。
ベルさんが自分に目を向ける事で、自分の所ばかりに辛い事が行き過ぎてないか、そういう息苦しさを感じてはいないか、俺自身そういった苦しさを感じた事もあってか、少し気になったので三通目の内容が出てきたんだと思います。
それと、両面でばかり見ていると、やはり気にかける事が多すぎて、いえ、俺は気にかけようとする事が高じて、見落としているものを探そうとして、結果的に見落としたと思うものが増える事になってしまっているのかと思いますし…
かと言って見えるものを、もう既に気になっているのに、気にしようとしない的な事は、自分は難しかったので、その上でああしておけば良かったと思ったのは、例え片面のみでも、気になった面だけで構わないんじゃないかという事です。
片面に対する裏面とかその他は、片面以外が気になった時、そこにフォーカスがあった時に気を配れればそれもまた上々だと思うんです。
ぶっちゃけ、今も自分という狭い世界から逃げようとしてませんか?シャッターを下ろそうとしてませんか?みたいな。
そして、それに助けられてきませんでしたか?
というか。
まあそれは俺の想像ですし、そう考える事も出来るというだけで、何かが違うと思えば違うんだと思うし、話の流れ的にも置いといて。
(そもそも推測は、推測でしかありませんから)
向上は良いと思える事ですが、おっしゃる通り困るものも舞い込む場合を抱えている。
なので、このケースに限って言えば、両面などに目を向ける時は、やはりある程度の覚悟や、視野が何と交差して出来ているのかを確認する事が、大事になる時もあると思いますかね。
原点はどこなのかと。ある意味、初心に帰るような事と同じかもしれません。
酸素は凄いエネルギーになりますが、もともと多くの生命体から見れば猛毒だったそうですし、それを高エネルギーに変える事が出来たのも生命体の地道な努力や、今まで得てきた過程のお陰だったかもしれん訳です。
かといって、高濃度の酸素を取り込めばやはり害となる。
恐らく高濃度の酸素を分解してエネルギーに変えるような経験値は持っていないからでしょう。
おまけに空気には、窒素や二酸化炭素なども含まれていますし。
持っていないものはまず受け止められませんし、受け止められたからといって、その使い方を知っている訳でもありませんから。
赤ん坊の頃を思い出すと、歩く事とは真似という行動から入りますが、真似は真似。立てる動作を満たせるような筋肉はないし、転ぶ痛みを知る訳もなし。どうやって歩いている、という事を体感から知る由もなく。
個人で咀嚼出来た上でなら話は変わってくるですが、言葉も似たようなものを含んでいるのではないかと思います。
(少し角が立ったような言い方なので、嫌なものを感じたらすみません。ベルさんがそういうのをやっているという意味は完全にないです。→寧ろ自分への戒め)
例えなので全く同じという訳はまずあり得ないと思いますが、似たようなもんじゃないですかね。
ベル
(小瓶主)
烏羽さんへ
お返事ありがとう。
良かった、違ってたらベルさん顔真っ赤だったよ(笑)
烏羽さんとまたお話できて嬉しいよ。
うん、烏羽さんのその冷静な分析ができるところ、やっぱり凄いな。
その部分は僕にはないから、それで烏羽さんのことを先に行ってると感じてるんだと思う。
僕は今まで自分と違うこと、自分が嫌いなことにシャッターを下ろしすぎてた。
そういったことを一切受け入れようとしてこなかったんだ。
だから僕という狭い世界で生きてた。
狭いから窮屈で逃げ場がないのに逃げようとして苦しんでた。
でも、そんな自分を広げられることを知った。
息苦しさから解放された。
だから僕は、何か息苦しさを感じた時に、違う空気が吸えればそれで十分なんだ。
僕が視野を広げたいと思うのはそういう気持ち。
烏羽さんのおかげで違う空気たくさん吸えたよ。
何事にも両方の側面があるんだね。
僕も視野を広げたからといって全てを捉えられるとは思ってないんだ。
例えば、僕は嫌なことから目を背けなくなったけど、その扉の前に立っただけで開け方を知らないでいる。
その嫌なことの向こう側に何があるかわからないんだ。
これが既に僕にとっての死角。
その扉を開けていい場合もあれば、開けてはいけない場合もある。
そう考えると物事を両面で考えるのは凄く大事だね。
僕は割と片面だけ見て満足することが多いから、烏羽さんのお返事新鮮に感じた。
烏羽さんの視点、好きだな。
烏羽
…旦那…兄貴…ッはっ!
まあ、多分当たりでしょうね。お久しぶりです。
先かどうかは解りませんよ。
少なくともベルさんがそこを通ったと思ったまでで、初めてだったかどうかも解りませんし、俺がどんな風にこの道を通ったのかも解らんでしょう。
(自分でもわからん。どんな道かもわからん。形なんてあってないようなものだろうかね。まるで心のように)
単に似たような要点を通ったのかもしれないと思い、故に俺の言葉を並べただけです。
なので恐らく、この場合ベルさんの自分の力があってこそ、少し新しい場所に進んで、見える先が変わりつつあったのでしょうよ。
…ありがとうは、ちゃっかり受け取りますがね。
逃げ出さずに目を向ける。(唐突)
というと、自分に嘘を付かない、というか、自分の姿にも目を向け続けるって事に似ている気がする。
いい意味で、自分から目を背ける事とは逆に、視野(視点?)の転換と固定が上手くなったのかもしれませんね。
きっと応用がかなりききますよ、それ。
個人的に、視野を狭め続ける事も、広げ続ける事も、過ぎれば過ぎるほど、行く行くは同じ問題にぶち当たると思います。
例えば1つとして、周りが見えない、って事に。
けれど、そもそも視野は、見えないもの、死角もあってこそ、視野とも言える。
視野が広がれば広がるほど、色んなものが見えるし、いろんな事に気を配れる。けれど、狭ければきっと、ここから生まれる問題はないだろうと思いもする。
狭い側から見ても同じような事が起こると思うんだけど、結局、視野(人の能力)である以上死角はあるんだよね。
限りなく死角を小さくする事も、視覚を補える能力も、勿論あるし鍛えられるだろうけど、視野を広くすれば見えなくなるものを完全になくせる訳じゃないと思う。
見えているものが全てでなくとも、その時見えている、その時々のフォーカスでしか、なかなか見え難いものじゃないかね。
地球だって月だって太陽光の当たっている側じゃないと暗くなる。
それと、広げすぎる事や狭めすぎる事自体が、悪いわけじゃないと思うんよ。
ただ、同じベースである以上、視野であれば、死角をなくす事も全てを見通す事も、近づく事はできたとしても、本質としては出来ないかもしれないという事を知っておければ、視野関連で困る事に当たった時、少し楽って感じかな。
光は闇を強め、闇は光を強める。(唐突2)
2つはもともと1つ。だからこそ、両方ある事でどちらも向上し、どちらも、より深まる事ができる。
視野を狭める事も、広げる事も、互いにとって向上の可能性を持ってる。
不幸だとか悪い事、もしくはそれを起こす事、起こされる事を良しとするんじゃなく(嫌なものは嫌だし、無論、倫理的等やって悪い事は避けた方がいい)
2つの認識でどちらも認識できるし、認識を深められたりするのだから、ベルさんの仰る通り、嫌な事も大事な事に変わりはないと思う。
同様に、幸せな事、楽な事もね。俺も感謝してるつもりなんだ。
どちらかだけでは成り立ってないし、成り立たないから、片方が、いい意味でも悪い意味でも行き過ぎると…
光なら眩しすぎて目を開けていられない。闇なら暗すぎて何も見る事ができない。みたいな。
良い意味で言えば、光にも闇にも、光と闇がある限り果てはない。
だから、手を取り合う限り、互いが「たがい」であり続ける限り、向上し続けられるんだと思う。
光の立場、あるいは闇の立場からものことを見る。見ようとする。
それは光と闇を、互いにある程度知ってるからだろうさ。
それがもし、見るとすれば、鏡に写る自分をどの立場から、どのように見るのかに関わる。
視野もきっと、広がりを知ったからこそ、狭まった時の注意がわかる事もあるんじゃないかね。
狭まりを知ったからこそ、広がりの注意点を、もしくは良さを知る事も出来るのではないかね。
いい事も嫌な事も、もとである自分を見失わないように、生き物はなってるんだと思う。
そして、いい事と嫌な事、善し悪しは、何かとの間にしか生まれないとも思う。
それは何故かと考えれば、他の世界(他の解釈)と関わったからこそ、善し悪しを知る事ができたからだろう。
だから意図しなくても、考えの視野は広がり続けるものだと思うんだ。勿論、意図して広げようとする事も素晴らしい事だと思う。
…とまあ、長ったらしく語った訳だが、唯一無二だけど、色んな何かに通じる事もある、そんな自分だけが持つ視野を深めようぜ、兄弟。
ベル
(小瓶主)
烏羽さんへ
お久しぶりだね。マイブラザー。
(これで初めましてだったら一番恥ずかしいパターンのやつだ)
過去の名前を出しても反応しないとのことなので、烏羽さんと呼ばせてもらうね。
この小瓶流した後、僕も烏羽さんと同じようなところに着地したから、烏羽さんのお返事すんなり入ってくるよ。
僕は烏羽さんとは違うルートだけど、こう考えた。
視野を広げればたくさんの光(幸せ)が見つかる。
だから、視野が広がること自体が自分にとって幸せなんだって思えるようになった。
それなら視野を広げるにはどうしたら良いんだろうって考えた。
自分が何を見て、何を見ないのかを考えた。
嫌なこと、嫌いなこと、辛いこと、逃げ出したくなること、目を背けたくなる状況。
逃げ出さずに目を向ければ視野が広がる。
そう考えたんだ。
嫌いなことがあればあるほど視野を広げられる。
そう考えたら嬉しくなった。
小さな幸せ探しに続く探し物シリーズ第二弾。
嫌いなこと探し。
嫌いなことでも受け入れられる感覚。
嫌いなことなのに幸せを感じる喜び。
だから、烏羽さんの「幸せと不幸とは、起こったものことを感じ方によって区切ったものに過ぎない。」という言葉、凄く納得できた。
「光と感じる事、闇と感じる事に意味がある。」という視点は僕になかったから、このことについて考える楽しみができたよ。
新しい視点を与えてくれてありがとうね。
何かに執着してる時は、本文にあるように心の身動きが取れなくて辛かったんだ。
視野を広く持てば選択肢があるのに、目に入らなかった。
今見ているものが全てだと思い込んでた。
だからといって逆に視野を広くすることにこだわり過ぎても問題があるんじゃないかと考えた。
時には何かに集中することも必要。
視野を広く持つことも必要。
この切り替えを意識することも一つの視野なんじゃないかって思ったんだ。
だから烏羽さんのお返事、凄く入ってきたよ。
僕はこれからも「視野を広げる」という新スキルを色々派生させてみるよ。
今はフォーカスについて考えてる。
僕はやっとここに考えが及んだのに烏羽さんはさらにその先を行ってる感じがする。
烏羽さんはやっぱり僕が思うあの人だと思う。
おかえり、マイブラザー。
烏羽
そういう考え方もあるね。
そうだなあ、小瓶読んで、他の考え方として思い付いた事を書いてみるから、長くなりやす。お気を付けを。
幸せとは誰が感じているのか、光とはどこから来ているのか。
そこに着目してみると、幸せと光を感じているのは自分なんだよね。
すると、その時の自分と、幸せに感じる「もの」の組み合わせが、幸せを感じるという事を生み出している事になると思う。
なら、幸せを感じるものを、その時の自分が持っているという事になる。かもしれない。逆もまた然りかな。
ということは、光と闇は自分が放っている波長に過ぎんのだよ、ワトソン君。
幸せも不幸も、石ころのように転がってる。
大きな幸せの裏には大きな影が出来る。
しかし、本来ならば光と影で1つのものなのだ。本来、幸せと不幸とは、起こったものことを感じ方によって区切ったものに過ぎない。
故に本質としては、光だからいいのではなく、闇だから悪いのではなく、光と感じる事、闇と感じる事に意味がある。と思う。
まばゆい光と、黒い光を放つ闇。もしくは、曇りのない闇を放つ光と、見通せない光を持つ闇。
あるいは、光の反動が闇、闇の反動が光。どちらか1つでは、少なくとも人間の上では、必ず成り立っていないと思う。
(2つ合わせて人間なんだから。まあ当然、倫理的に悪い事を良しとする意味ではなくてね。どんな人にも広義で言えば、どこかに善し悪しの判断が内在してるよって感じ)
書いてみていて思ったのだけど、欲する事や執着自体に何か悪い事があるのではなくて。
何に、どのように執着をする事が、何かの反動を垣間見ると「悪く思える」「悪くなるであろう要素が垣間見える」という事だと思うんだよね。
結局自分の何かから、その事に夢中になっている、気を払っている、フォーカスを当てようとしているという下地は変わりようもないんだから。
ベルさんがどう解釈してるかはさておき。
俺は、視野が広がるってことを、遠くから色んなものが見れるという事だけではなくて、視野という分野が質として向上したという解釈をしてる。
スポットライトがボーカルに一点に集中したとしても、ドラムやギターやエレクトーンは鳴り続けてる。
鳴り続けてる音は、スポットライトの当たってない時に、バックバンド、BGMと呼べるものになるかもしれない。
だからと言っても、奏者一人一人の、それぞれの瞬きだとか、呼吸だとか、細かい一挙動も無くなるわけではない。
つまり、夢中になろうがなるまいが、距離が近かろうが遠かろうが、非常に感覚的な言い方になるけど、「そこ」に気付くかどうかが視野の広さなんだと思う。
言ってみれば視野の広さというのが、自分の居心地を作り出している1つの要素になっている、なるんじゃないかと思うかね。
本当は広ければ良いでも、狭ければ悪いでもないというか。(どっちにも良い悪いがある)
自分の事は反射でしか殆ど解らないし、その反射でさえ、他人が吸収した上で跳ね返ってきたものでしかない(丁度「色」のようにね)のだから、皆自分への視野というものは、中々上手いように拡張できないものなのだろうと思うのさ。
そして、そういう一面や色と言えるようなものもあるからこそ、向上したくなるのかもしれない。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。