偶然と迷いの2本立て。
学校の帰りにコンビニに寄ってガムを買ったら、中学の頃の部活後輩がレジでアルバイトをしていました。
コンビニを出て、甘いものが食べたくて(安いので)スーパーに行ったら、中学の部活の、今度は先輩がレジでアルバイトをしていました。
なんという偶然!
2人とも久しぶりに会えたので嬉しかったです。
くよくよしないでしっかりしなきゃなぁー。
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放課後、大好きな数学の先生のところへ人生相談に。
先に、「欲しかったものが手に入ったら頑張る理由がわからなくなった」という小瓶を流しましたが、まさにそのことを先生に聞いてもらいました。
(先生曰く、職員室に入ってきた時「余命宣告受けたみたいな顔してた」そうです)
先生に聞いてもらったら、また自分の悩んでいることに関して色々な側面が見えてきて。
(それがわかった詳しい経緯は省きますが)どうやら私は、他人からの「評価」が怖いんだなぁとわかりました。
先生曰く、他人に評価されることからは逃れられないけれど、
その評価をポジティブに受け止めたり、そもそも受け止めすぎないようにすることはできる、と。
他人からの過大評価を拒んだり、受け止めたりするのを頑張るのではなく、
「なんかめっちゃ過大評価された〜…(無関心で)次の小テストの勉強しよ。」
みたいな感じでいいんだよ、と言われました。
その先生にはいつも言われるのですが、私はいつも全力投球頑張りすぎで、(先生と話す度に頑張りすぎだと言われる)「ほどほど」ができていないのだそうです。
いつも0か100。上手くいっても10と90。そんな感じだから疲れてしまうのだと。
だから、40:60ぐらいの割合を目指しなさいと言われました。
あと、私の言う「頑張る」は200%ぐらいを指しているから、そんなのばかりじゃぶっ倒れるぞ、と。
輪ゴムを思いっきり伸ばしたら、切れて手が痛くなってしまうから、時々は緩めてあげなさいと言われました。
自分では無自覚なのですが、加減が下手くそなのはよくわかっているので、とりあえずそこをクリアしないとなぁ、と思いました。
頑張る理由がわからない、の話は、欲しいものを手に入れるという大きな目標を(半分は)達成したのだから、数日は燃え尽きた状態になっても仕方がないと言われました。
大学進学という目標に向けて、小さな小さな目標(今すぐ、そうでなくても1、2日で達成できるもの)を少しずつ積み重ねていけば大丈夫だ、と言われて、とりあえず明日の1限の数学に頑張って出ることを宣言してきました。
1日2日で解決できる問題じゃないから、ゆっくりしながら次の目標を探していけばいいんだよ、と言われて、少しほっとしました。
頑張りすぎないことを頑張ること。
それから、遊び心(余裕)を持つこと。
難しいけれど、そういうものを意識しながら、また頑張るためのエネルギーを溜めていこうと思います。
頑張る理由は、まだわからないけれど、「認められたい」「期待に応えたい」をモチベーションに頑張るのは別に悪いことではないと言われて、なんだか嬉しかったです。
何となく、そういうのは不純で動機としては悪だと思っていたので。
信頼できる先生がいて、よかった。
中学の頃の先生は、みんな私を学校内の役割のフィルターを通してしか見てくれなかったから。
仕合わせに感謝です。
47714通目の宛名のないメール
お返事が届いています
りぃふ
(小瓶主)
書いていたお返事が、間違えて戻るボタンを押して消えてしまった…。
ああぁ。
烏羽さん
ありがとうございます。
難しいところも飲み込むための咀嚼を意識していたいと思います。
ガムというよりスルメのイメージで。
確かに、頑張ることを武器というか強みとして押し出してきた気がします。
けれど、心身的なごたごたから頑張っている状態を維持できなくなったことから、
頑張りの度合いが中途半端に思えて、
それに嫌悪感を感じて最近は引っ込めていました。
それでも残っている印象を払拭できず、頑張りを評価され、
烏羽さんの仰るとおり、言葉の1つ1つに大きな何かを感じて、
大きく受け止めすぎたり、受け止められなかったりして、
苦しくなって一人でじたばたしていました。
価値観が変化して、自分の「頑張り」に対する考え方に疑問を抱くようになったというのはまさにその通りで、
他人→自分に重きを移動させないと、大人になったら自分はダメになってしまうのではないかという妙な不安感に付き纏われています。
しかしこれも、「主体性がない=悪」という一般論に振り回されて辿り着いたものなので、
他人に依存しているというか、他人中心な根本的な部分は何も変わっていないじゃないかと思わず苦笑いしてしまいます。
けれど、「変わらないといけない」という予感はきっと間違っていないので、一つひとつちゃんと向き合っていきたいです。
嫌だと思うのを緩める。
嫌なことに直面するとそれに気持ちがぎゅーっと縛られて苦しくなってしまうので、忘れないようにします。
「過ぎる」ことで起こる結果がよくないということ。
最近、「過ぎる」ことばかりに目を向けていたので、見失うところでした。
とりあえずまた、答えを探してもがいてみようと思います。
それで、返ってきた評価を眺めて自分の気持ちを見つめてみます。
もう1つの小瓶のお返事は、まだ咀嚼中なので、スルメを飲み込んだらお返事します。
ありがとうございました!
冬さん
いつもお返事ありがとうございます!
とっても素敵な先生なんです!
人付き合いが苦手な私が珍しく心を開いた人です(笑)
他者評価がないと、たしかに迷子になってしまいそうです。
「1人で頑張る」っていうのも、誰かの助けが必要なんだなぁと思いました。
ちょっと違うけれど、受験は団体戦っていうアレみたいな。
笑顔、心がけていきます!
ありがとうございました。
(私の文章って逆説の言葉が多いな…)
冬
素敵な先生ですね〜。
他者評価は1人頑張りの人にはすごーく必要だと思う今日この頃。
笑いましょう、いつでもどこでも!
烏羽
うん、まあ、お返事が出来るかどうかは気にすんな。
小瓶主さんの気持ちをないがしろにしようって訳でもないけども、何でもいいから。
咀嚼しようがしまいが、どっちでもいいから。…ガムだけに。(難しい所、吐き捨てるだけなのは困っちゃうんよな)
感覚で書いてる部分もあるから、上手く答えられない事もあるだろうけど、引っ掛かったとかわかんなかったら聞いてくれても構わんぞ。
やっぱり、頑張る事が悪い事じゃない。
りぃふさんは、それを武器に生きてきた、頼ってしのげてこれた、みたいな部分もあったんじゃないかなと思う。
人は一生懸命だとか、真面目だとか、その姿を見て言うのかもしれないけど、言われた当人にそんな自覚はなくて、ただ日々を生きようとしてきただけで、真剣な姿勢に自分の過去を重ねて、大変そうだとか、そう思っていたのかもしれない。
何を持って、真面目だとか一生懸命だとか、そう言われるのか。それを重圧に感じてしまう事もあったかもしれないけれど、その裏に特に悪気もない事から、自分が自分にのしかかってしまう事もあったのかな、と思います。
頑張るのが大事だったから、向き合ってきたからこそ、悩んだのかなーって。
そこからの、よくわかんないモヤモヤのような何かが重なって、言葉の1つ1つに大きな何かを感じて、大きく受け止めすぎたり、だからこそ受け入れられなかったりした事もあったんじゃないかなあと思うかな。
完全な推測なんで、その先生が言ってた事で解らんかった事は、その当人に聞かにゃわからんのだろうけど。
頑張る事に頼って生きてきた中に、他人の評価が怖いからこそ頑張ってこれた。というものもあった。
それが今、自分の中の価値観が整頓されたり増えて来たりなりして、疑問が出てきたというか、合わなくなってきたんじゃないかなって。
頑張る事を手放す必要も何もないし、将来はすぐに答えが出せるというか、はっきり決断出来るような事ではないのかもしれん。
でも、将来の事や今の自分の事。辛いのはあるだろうけど、ごっちゃにせず、1つずつでも向き合ってれば、それが一番の近道になるんじゃないかと思ったんよ。
10%の頑張りを10回積み重ねれば、それが100%と言えなくても、100%に近いとは言えるかもしれない。
物事を俺の長文のように、一気に片付けようとする必要もないからね(苦笑)
だらけ過ぎるのは困るけど、四六時中気を張り詰めてるのも困るから、りぃふさんで言えば嫌だと思うのを緩める時、緩められる時間。
窮屈さを感じて辛い時こそ、それを意識するのも大事かもしれない。
本当の事言うと「過ぎる」事が悪いんじゃなく、過ぎた事でその結果、起こった事が困る、って事だと思うしさ。
何が困るのか、人それぞれの経験の欠片が会話の中で見えなかったから、困っちゃって、自分が努力するしかないんだと思っちゃったのかもしれん。
まあ例として、それは人の事なのでまったくわからんから、そういうのは受け流すも受け止めるも、自分の思った事を感じとれれば、それで御の字だと思うよ。
それに、俺だって見当違いの事を言ってしまう時はあるもんね。
やってもいない先の事なんて評価のしようがないし。
不恰好だろうが、相手の意見を取り入れようが取り入れまいが、それ込みで、まず自分のやりたいようにやってみればいい。
その後、評価を受け止めて、自分が感じた事を見つめてみればいい。
眺めるだけでいいんだと思ったな。
りぃふ
(小瓶主)
烏羽さん
いつもお返事ありがとうございます。
「頑張りすぎ」って言われてばかりで、なんだか 頑張ること=よくない自分 みたいな等式が最近頭の中で出来上がりかけてたので、「あ、努力ってそういえばいいものだった」と至極当たり前のことを思いました。
たしかに、私は嫌なことに対する「頑張らなくちゃ」への縛りがここ数年凄くキツかったなと気づきました。
嫌だと思う自分の気持ちから離れる、意識してみたいと思います。
怖いから頑張るっていうのはまさに!という感じでピタリとはまりました。
自他の評価を受け流すのが確かに苦手で、
そういうのも自分の嫌な方の「頑張らなくちゃ」に対する縛りを緩められない理由でもあると思います。
ちょっとずつ受け流せるものは受け流していきたいです。
先日流した学校に関する小瓶へのお返事、ありがとうございました。
もうちょっと自分で咀嚼してからお返事させてください。
ありがとうございました!
烏羽
うむ。
幸せも不幸も、あなたがあったからこそのものだ。
その先生が仰ってたように、りぃふさんは良くも悪くも200%を目指して頑張ってたんだろう。
だからこそ、努力を知ることが出来た、とも言えるかもね。
がむしゃらに頑張る事も、まあその時の自分ができる精一杯の努力だったんじゃないかなあって。
(何を持って頑張るっていうのか、やってみないと誰もわからないと思うし)
そうだなあ、それとさ。
楽しいとか、夢中になるとか、あるじゃない?
あれも、捉えようによっては1つの頑張りと言えるかと思うし、意識してない部類の頑張りに入ることがあるとも思うんだよね。
嫌な事に向き合う頑張りと、楽しいものに向き合う頑張りの後の、2つの疲れって違うじゃない。
そこら辺も、頑張る事に嫌気がさしちゃうのに関わっているかもしれんね。
まあ他所様の言った事なので、意味合いは違うかもしれんけど、遊びに全力で打ち込んで全力で楽しむからこそ、嫌な事にも打ち込めるみたいな話をどっかで聞いた事があるよ。
そういう意味での余裕もあるんじゃないかなあって。所謂ガス抜きって奴になるのかね。
頑張りすぎないように頑張るってのは、言ってみればターゲットの事で頭を一杯にしすぎて、四六時中(は言い過ぎかもしれんが)考えなければいいんじゃない的な感じなんかね。
特に嫌だと思う事とか、不安に思う事は、まあ先の事は誰にもわからんのだから、その余白部分を無理に埋めようとしないように意識してりゃ良いんじゃないかな。と勝手に思ってみました。
大事だと思うんならまた別だけど、態々嫌な気持ちに自分から近付いてやる事もないしさ。(好きだの離れるだの、逆もまた然り)
燃え尽きた、というのは、欲しいものを含めた色んな価値観を得て、その中で自分が何処にいるのか、ちょっとだけわからなくなってるだけだよ。多分。
そして、それもきっと大事な事。ある意味、整理整頓をしているとでも言えばいいのかな。
ゆっくりでも、確実に前進している。
しっかり迷って、一生懸命生きてる。それでいいっしょ。
俺にも似たような所があったから、経験として考えてみるんだけれど。
その時の、頑張ってないような自分、頑張らないと周りに追い付けない自分像を評価されるのが怖いのかもしれなかったんだけどさ。
結局、怖いから頑張ってたんじゃないのかなあとか思うんだよね。
片意地というか、肩というか、自然体な張ってない自分みたいなものに対してさ。
上手くしようとする必要もないっていうのかさ。あんまりそう考えたり、その上で行動し過ぎると、疲れちゃって。
でも、そのお陰で得たものもあるわけで。それも別に、悪い事じゃないって思う。
ただいい事にも悪い事にも繋がる可能性があったってだけでね。
案外、いつの間にか自分ですら、自分に対して、そんな自分を出すのは困る事だ、とイメージして評価してただけだったのかもしれないと、今は思うよ。
それをしない事は、恐らく根本的に難しいんだろう(また長くなるので理由は略)けど、自分にしろ他人にしろ、受け流す事はできると俺も思うんだな。
ななしさん
それで良いなら良いんでない?本人が良ければよし。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。