日記がてらの小瓶。かなりの長文
※この小瓶はやや下ネタを含みます。
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予想していたことではあったが、先日、精神科で『強迫性障害だろう』と告げられた。
この病は、不合理な恐怖にかられて、こだわりたくなくても何かにこだわり続けてしまう、というようなものらしい。
こだわりの対象は人それぞれだが、自分の場合は、いわゆる小便や大便など下ネタ系の汚れが猛烈に気になるというものだった。
もう何も付いてないだろう、仮に微粒子レベルで残っていても実害はないだろう、というのが分かっていても、何故か延々と尻を拭き続ける。
トイレットペーパーも水も、そして時間も、おそろしい量を浪費するようになった。
この、意味不明な不安にかられる恐怖と、その不安に操られて様々なものを浪費する徒労感や疲労感は、凄まじいものがある。
ついこの前まで何ともなかったトイレの個室が、恐ろしい空間に思えるようになった。
『そもそもトイレに行く回数を減らせばいい』という方に思考がはたらき、食事をすること自体を躊躇うようになった。
何より恐ろしいのが、ネットでざっくり調べると『完治はしない(非常に難しい)』という情報がちらほら出てくることだ。
この状態になる前にも、自分にはそれなりに悩みや苦しみはあった。
それは、自殺を考えさせられるほど大きいものでもあった。
しかし、今この状態に陥ってからは、あの色々思い悩んでいた日々が楽園のように見える。
ふとしたことで、何かが漏れているかもしれないとか、自分はまだ汚れているとか、そういう四六時中襲ってくるような不安が無かった頃が、遠い日常に感じる。
今は何をしていても気分が暗い。
自分なりに気晴らしすることを心掛けてはいるが、もう自分の精神自体が暗い影に覆われているように思える。
唯一の救いは、就活というきつい関門を通った後だったことだが、現時点から会社員として働き始めるまで、もう1ヶ月程度の猶予しかない。
トイレに数十分〜数時間もかけようものなら、当然仕事にも支障が出るし、下手をすれば仕事自体を失うかもしれない。
例え、完治が難しいとしても、何としても軽減させなければならない。
強迫性障害の患者は、意外と多いと推測されているらしい。
しかし、仲間が多いからといって、個人的には何の慰めにもならない。
何しろ自己中なので、他人がなっても自分はなりたくなかった、と考える。
何故、ただでさえ自殺を考えるほどの問題を抱えている人間が、こんなに辛く面倒くさい病にかからなければならないのか。
いよいよ自殺させる気なのか。
本当に自殺する気になったら、そしてそれが上手く成功したなら、それはそれで自分の願いが叶ったことになるのかもしれないが。
とりあえず、その辺りの判断は、働き始めてからになるだろう。
この手の病は、生活習慣や性格なども関係しているらしい。
調べてみると、正直、何故とか言うまでもなく『自分はなるべくしてなったんだな』という感想しか出てこなかった。
何しろまるっと昼夜逆転生活だったし、自分でも自覚出来るくらいの完璧主義だった。
そして今思うと、この状態に陥りつつあった数ヶ月前、トイレで座りながら考えるようになった事があった。
『自分は汚れている。自分は人一倍汚い。自分は汚れていてはならない』
つまり、自分を責めていた。
だからまぁ、恐らく、なるべくしてなったんだろう。
初めは、まるでいじめっ子がクラスメイトをからかうように、面白半分だったように記憶している。
自分はいつも、悪い親が子供にするように自分を虐待するし、いじめっ子が他の子にするように、面白半分に自分を責め立てる。
自分に問題がないわけがなかった。
やはり、あれがトリガーだったのかもしれない。
今度、医者に相談してみることにする。
この状態になったことを呪うにせよ、自殺するかどうかを考えるにせよ、とりあえず出来る限りのことはしなければ格好がつかないだろうと思う。
尻を拭き続けるのが苦痛で死んだ、とか、流石に言いたくないし言われたくもない。
そんなことを考えていられるのは、悪化していない今のうちなのかもしれないが、出来ればこれ以上悪化させたくない。
とりあえず、早く寝なくては。(a.m 3:45)