辛い思いをしてきたことをたくさんアピールしてしまう。
知ってもらって、構ってもらいたい。
辛かったね、大変だったね、と言ってもらいたい。
作り上げてまで、今までを労わってほしい。
だから、嫌われるのだろうか。
確かに普通じゃなかった。
普通じゃない環境ではあった。
でも私からしたらそれは普通だった。
私の世界には、目の前の出来事が全て当たり前だったから。
だから、私より辛くて苦しくて大変な思いをしてきた人もたくさんいるんだろうし
たくさんの経験をして、土台を作りあげて、自分が出来ている大人からしたら
「下らないことをグズグズ言ってるガキ」でしかないんだと思う。
小中高でいじめられて、家もまともじゃなかった。
家がまともじゃないことに気づいたのは、中1の先生が教えてくれた。
確かに小学生の時、顔を腫らして学校へ行った時は、担任の先生に顔どうしたの?お母さん?と聞かれた。
でもお母さんには、お姉ちゃんと喧嘩しろと言えって言われてお姉ちゃんと喧嘩したと言った。
そういう事が何度もあって、本当に?本当にお姉ちゃん?と聞かれ続けた。
片親でお金もなくて、ご飯がモヤシだった事もある。何も無かったこともある。滞納しすぎて給食だって止められた。
電気もガスも止められたこともある。
中2の時に、中1の先生が隠していたあざに気づいてくれた。
連絡先を教えてくれて、家を追い出された時、朝まで外に一緒にいてくれた。
バレたらクビになる、って強く強く抱きしめてくれた。
頑張ったな、気づけなくてごめんな、辛かったな、って私なんかのために泣いてくれた。
親にも抱きしめられたこと無くて、人の温度は苦手だった。
だから違和感で気持ち悪かったけど、泣いた。
何でか分からないけど、涙が溢れて止まらなかった。
高3の時は、ただひたすら話を聞いてくれる先生がいて、いつでも何時間でも聞いてくれた。
話せるまで待ってくれた。
辛かったやろ、って。いじめられたのも、そこからお前を助けなかった周りの大人が悪い、って。
本当に本当に、嬉しくて、でも怖くて、仕方なかった。
確かに普通じゃないけど、私はこれが普通
そう思い込んで、辛くても辛くないって思ってきたから。
誰かを頼れば人に迷惑をかけるな、と怒鳴られてきたから。
誰もいない家も、一人で食べるご飯も、家で彼氏に会うからって外に出されるのも、見たことない男にいやらしい目で見られたり触られたりする事も、父親でもない人に急に怒られる事にも、全部に慣れていた。
親の手作り料理だって食べたことない。
いつも必ずカップラーメンやコンビに弁当、冷凍食品だった。
私のために作ってくれるご飯なんて無かった。
そんな私には給食が贅沢すぎて、辛かった。
母親も父親も、私がいなければ再婚していた。子供は不必要で邪魔なんだと思う。
大人はみんなそう思ってると思ってる。足を引っ張る足枷だって。子供なんて、要らないんだ、邪魔なんだ、って。もう2度と消えないように、傷をつけられたみたいに、そう思ってきた。
だけどそれは、いつもの事だった。
だから、怖かった。幸せすぎて、怖かった。
外で人の愛に触れてしまったら私は家で、生きていけなくなる事も分かってた。
だから、お金も貰わない好きでも気持ち良くもないSEXをすることで、それも普通のことにしてしまう事で、何とか家で生きていけるように、
愛を与えてくれる人に懐かないように、甘えないように、鞭を打ってきた。
家族に愛がなかったわけじゃない。家族のことは好きだった。大好きで大好きで仕方なくて、どれだけ酷いことをされても私はたくさん愛してきた。
いつだって、頑張らなければいけなかった。
耐えなければいけなかった。
拒めば髪の毛掴まれたし、無視すれば鏡や食器や携帯を投げられたり、何をされてもおかしくなかった。
首をしめられて裸足で逃げた事もある。
そんな環境は、少し大人になった今思うと、怖くて、辛くて、苦しかったのかもしれない。
だけどたまに与えられた愛は、とてもとても嬉しかった。
誰かに愛を貰わなければ生きていけないほど、悲しい環境ではないと思ってた。
というか、私は甘えすぎてる。
だから、同情されたりするほど辛い思いはしてきてない。
なのに、少しの人に心配されたり、愛されたりするだけでも、満足しないのは何でだろう。
わがままなんでしょうか?
欲張りでしょうか。
一時的には満足出来ても、すぐ空になってしまう。10人に、100人に、心配されても愛されても、全然足りない。
こんなんだから嫌われる。こんなんだから、要らないんだ。
私以上のクズはきっといない
もう、人間、やめてしまいたい。
人であり続けることに、疲れてしまった
ななしさん
かわいそうに。という憐れみの言葉。
ずっと。ではない長くとも一年未満の一時的な包容による束の間の安心感。
こんな話しをご存知でしょうか。
深い森の中で、格下の身分の者に出会った貴族が、施しをくれてやろうと馬上から降りることなく、その者へ放り投げた施し。
衣食住に困窮し、食べることすらままない生命の維持が難しい状態の身の上であっても、その者は、施しを受け入れず拾い上げることもなかった。
貴族は、受けとらないその者に対して不快感を表したが、明日をもしれぬその者には、もっともな理由があった。
そんな書物の文を思い出します。
人としての生をまっとうすることに疲れた貴方にしか出来ない、なしえないことがあります。