よくしてくれる研究室の先生がいる。
背はそこそこ、すこし剥げてきているけど、
私のお父さんよりは一回り若い。
アーガイル柄の薄手のパーカにシャツ、黒のパンツ、そんなカジュアル着をきこなす。
親しみがあって、沢山の言葉を交わす。
でも、そのひとは、私の所属する研究室の先生ではありません。
少人数制の授業のときに教えてくださったひとで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ひとつ、「このひと面白い人だなあ」と思って、すこしだけ踏み出したときに
彼もなにかを思っていたのか、それに応えてくれたことを除いては。
あるとき、私がだれにも話せなくて、苦しんでいるとき
ドアを開けてコーヒーを入れて、チョコレートをくれた。
たくさんの話をした。話が止まることはなかった。
ただ、一抹の心配もある。先生、忙しくないんですか。
忙しいときは違う部屋で籠るといい、と答えたそのあとで
「ここにいるときはいつでもウェルカムですよ」
それからまた暫くして、彼から研究室で行う授業の手伝いをしないかと誘われた。
とても魅力的な授業で、めったにできない経験であったので、快諾し
2週間ともに行動した。
その中で見えてきたものは、人として尊敬できる部分や彼の考え方。
私にとってはとても心地よくて、楽しくて、飽きない時間を味わった。
彼の考え方は共感するものがあるし、それでいて上をゆく。
そして、先生とは、こんなに会話をしてくれるものなのかと。
距離は一気に縮まったように思う、一方で気にしてはいなかった気持ちが膨らんでゆく。
ーーこの人は私のことをどういう人だと思っているのだろう。
ひとりの研究者として、生徒として、それとも対話をする一人として、心配な人として?
それとも何か将来なにかをしそうだと期待を持ってくれているのだろうか。
「ひとは自分が何者であるかを自分で表現できることが大事、どこにいても、それが言えること」
――私は何者なんだろう?
――どうして、自分は特別でありたいんだろう?
与えてくれる言葉の表現や、行動のタイミング、配慮、気配り、物事への姿勢。
学ぶものはたくさんあって、貴重でかけがえのない時間。
たくさんの、目には見えないものを与えてくれる彼に、私は何か返せるものがあるだろうか。
頭の中をかすめる不安は、あの場所へ行くことを遠ざける。
人として惹かれたことに嘘はつきたくない、そのまま向かっていきたい。
でも、そのひとは、私の所属する研究室の先生ではありません。
だからときどき、ふっと思い出そう。足の赴くままにいこう。
コーヒーに苦いといえるように、まずは正直になろう。