好きが多い。
好きってなんだろう。
新しい季節にたくさんの人と出会った。
今はたくさんの尊敬できる人がいて、憧れていて、好き。
同性の人でも顔が良くて優しい人、一緒にいて楽しい人、好き。
異性でも気を遣わなくていい人、話が合う人、好き。
わたしの笑いのツボにどんぴしゃな人、好き。
でもその中でも会えると飛び跳ねたくなるくらい嬉しくなる人が何人かいる。
他の人と何が違うんだろう。
なんでその人たちだけのことはよく考えちゃうんだろう。
これはなんだろう。
わたしはストレートですが
しばらく複数の異性とフラットな感情で関わることがなかったから
戸惑っていたり分からなかったりする部分があるのかもしれない。
人と接した時に湧くプラスな感情を
全部好きで片付けているから
よく分からなくなってるのかもしれない。
分類ってできるものなのかな。
どうやってするんだろう。
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ななしさん
小瓶主です。
1通目さん、2通目さん、3通目さん、お返事ありがとうございました。
少し時間が経って、好きを保てる距離も考えていかなきゃなーと考えてしまうようになりました。
(少し悲しいです)
ですが、この感性を大事にしていきたいと思います。
ななしさん
すき、っておもえるあなたはほんとにすごいんだよ。
分類、に気を取られすぎずに あなたの言うような プラスの感情っていう大きな矢印で包むのも一手。
気持ちのなかみを言葉で転がす よりは、こういうところがすきってひとつずつあげていくのはどうでしょう。
何と無く、が収まり悪いならば、笑顔がすき声がすき、こんなことできるところがすき、と言ってあげられるようにするのも素敵かなぁとおもって。
ななしさん
博愛主義は全て好きで完結する。
私は博愛主義ではないが、他人と接する時に一緒にいたいと思う何かを感じて、初めて友人関係を築こうと思う。
ただ異性にしても同性にしても好きは友人関係だけのことだ。恋愛が出来ない。人として好き。そのぐらい。だから特別な感情を感じるようなことがなかなか無いから、いままで恋愛としたものをしたことがない。
私もいまいる環境で沢山の人と出会った。もしここ(新しい学校)に来ていなかったら、この世界を知らないまま社会に出ていたのかと考えると、私は自分の意志でここに来たことを後悔するはずはない。私はここに来て良かったんだ。
色々辛いことだらけだった学校生活。そんな嫌な時に別の場所にいる気になる異性が出来て光が見えたが、私の自己否定と自信の無さから相手を遠ざけた。
そして私はまた新たな場所に行く。成長していないかもしれない。けど無意識ながらも成長しているかもしれない。
主様も、迷っている時こそあえて立ち止まって、悩んでみた方が見えることもあるのではないかな。好きに特別な感情があれば分類って出来ているんじゃないかな。私にもまだわからない。好きに理論や理屈はいるのかな。
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