新しい街に引っ越し来て
二か月が経ちました。
鬼の断捨離をして来たのですが、
それでも、さすがに家で仕事をしていた分だけは
収納が足りません・・
二か月経って、やっと、ダンボール6個(最後の)を
開きました。
書くとこないので、
ここに書かせてね。
一番最後のダンボールは、
6年前に亡くなった父親の遺品が入ったものです。
その時着ていた服が、一式です。
事故で亡くなったので、解剖の時かな?
ハサミかなにかで、衣服や
履いていた長靴は、
ぱっくりと、切られています。
それが、23年、一度も音沙汰がなかった私のところに
裁判所から送られてきたときは
開けて号泣、パラゾールだけ散らして
押し入れに入れっぱなしにしていました。
ぶっちゃけ寺 遺品整理をするコツをお坊さんが伝授 最近話題の情報
(いい記事でした)に、
仏教的な観点から見ると
仏教の世界は「諸行無常」すなわち、
「こだわらないこと」。
手元にあると、目で見てこだわってしまう。
ということは思い出がいっぱい詰まっている。
それでは、新しい自分が育ちにくい、という考え方なのだそう。
(これは、わたしの選択なので、別に、取っておきたいひとは
取っておいていいんです)
・・というのを読んだら、
腹がすぐ決まりました。
あさって、遺品をお焚き上げしてくれる
お寺さんがあるので
行く予定です。
(最初は、間違えて、神社に電話しちゃったよ・・)
ほんとうは、手元にこれ(遺品)が来た時
すぐ、エマールで洗って、
靴も泥を落として、
いま、生きている人と並列だから
乾かしてから、お焚き上げに出したかったです。
さっき、開かずの箱を、エイや!っと開けたら
ベルトが、かびてました!
長靴だけは洗いました。
スガシカオの「お別れにむけて」を
自然に口ずさんでたのが、自分でもビックリでした。
(選曲)
かなしい、は、健在だったけど
かみしめながら、袋に詰めました。
時間というのは、
崩れるような悲しみを、薄めてくれる力は本当にあります。
いま、を、自分が、生きる、という
方向で生きていれば、自然なことなのかもしれません。
宛メでも、微に際に、
あの時は、精神的に、バラバラな感じなっていたにもかかわらず
厳しさの中にある、愛情のあるお返事、
寄り添いのあるお返事を頂きました。
もう、名前のある、ハンネさんは、
いまはひとりくらいしか
いないかもしれないけど、
あの時は、本当にお世話になりました。
ななしさんたちにも、たくさん見守って頂いていたのではないかと
勝手に思っています。
しあわせを、いきる、ひとで
ありたいと思います。
へたくそな、立ち泳ぎのときも多いけどね。