分かんなくても適当に共感してくれる人の偉大さったらないと思う。
今こういう気持ちでとても辛いんだ、って話をした時に、別に求めてもいないアドバイスを上から目線でペラペラ話してくる人が多い中、「辛いねぇ~」って一言こぼしてくれる人がいることの有り難さ。
そっちの方がよっぽどスッキリする。
いつも私の弱音を「辛いねぇ」「しんどいねぇ」「頑張ったのにねぇ」って繰り返しているだけなのに、アドバイスを求めたら的確なヒントをくれる、それも上からじゃなくてどこまでも優しく柔らかく伝えてくれる、そんな友人を尊敬してやまない。
あんな風に穏やかで、尚且つ他人の心情を汲める人でありたいなぁ。
90%くらい劣等感で出来ている私は、人が弱音を吐くと嬉々としてアドバイスをして「役に立っている自分」に酔いしれがち。
だから似たような人を見かけると腹が立って仕方がない。そういうこと。
名前のない小瓶
50050通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
有り難いですよね。
受け止めて共感してくれるなんて。
そんな素敵な話術を使いこなすには
訓練を積んだらいいそうですよ。
そのために自分のことを受け止めて
まるを付けられるといいですね。
ななしさん
たくましい分析力をお持ちの方だ
小瓶主さんがね
自分に厳しい人なんだろうなあ
烏羽
そうなんだよな。
わかんなくても、例え自分自身の思いだけだったとしても、共感してくれる、わかってくれたような言葉を掛けられる人の、どれだけ凄い事か。
側にいて、求めた時だけにヒントを、更に的確なものを言ってくれるそれが、どれだけ凄い事なのか。
真実に近い思いを汲んでくれていた時の、どれだけ凄い事か。
俺がそんな友人と共に居れたなら、学べるものは学びたいね。
自分自身、微妙なんだよな。
宛メの中とか、日常の中とかで、本当にきっかけになるんじゃないかと思われる事を言おうとしていいのか、お節介なんじゃないかと迷う時もある。
言わなければ言わないで、他人の事は他人の事と割り切る事も出来るけど、やっぱりそうなっちゃうよなって思いをする事もあるし、言ったら言ったで相手の経験、楽しみだとか悲しみだとか、ネタバレみたいに感じるものを薄めてしまってるんじゃないかとか、そう感じた事もあった。
人それぞれいる中で、何がいいんだろうかな。
かと言って、あんまり教えて教えてと言われてるように感じると、これまた言いたくなくなる時もあったりする。
ご自身一人で頑張ってるんだなあって時は、何か言いたくなる時もある。
(実際に言うか言わないかは別にして)
気を付けてはいるが、自分に酔いしれて、自分本位になってしまって、それで人の思いを汲み取りにくくならないようにしたい。
というのもまあ、俺自身変に気取った書き方をする事もあるし、余計なお世話っぽいの(と自分で思いつつも)を掛ける事もある。
褒められたもんではないけど、だからこそその凄さがわかるよ。
苛立ちに関しては、同じ穴のムジナ的なものを感じる事もあったけど、側から見ているだけなら、危ないかもしれんぞ〜気を付けてくれよ〜的な思いしか浮かばなくなってきたかな…。
本当に誰かを助けたい気持ちから目を逸らそうとしない限りは、どうせいつか、自分自身で気付く…、そんな場合が多くあるかもしれない。思い返せば、そんな感じな事を思ったからかも。
そういう意味では、その点は共感というより、単なる自分の意見だね。
うん…、自分で書いた文を読み返してみて、もしするとアドバイスを言っているようにも解釈出来そうに思ってしまったけど、ここに限ってそういうつもりはないよ。
強いていうなら、独り言とおしゃべりを混ぜたみたいな感覚かもしれないな。
りぃふ
最近本で読んだ、引き算の優しさという言葉が浮かびました。
足し算の優しさが「してあげる」優しさなら、
引き算の優しさは「何もしない」優しさ。
損得勘定はしたくないけれど、
誰かの気持ちを斟酌して、
思いやりを足し引きできる人間になれたら素敵だなと思います。
ななしさん
真の聞き上手ですね。私にもそんな友人がいますが、みんなに頼られすぎて逆にストレスを溜めてしまっていないかちょっと心配。でもついつい話してしまう・・・。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。